十月十日

目の日。

 

労働

 台風対策を色々とやった。前回の教訓が活かされている。枝折れやその落下に関してはどうしようもないので祈るしかない。

 

研究

 多少進捗した。ある一点において苦戦しており、今後も苦しめられそうである。

 もっと解析側に都合の良いイベントは無いものか。あるいはそれに頼らず出来る解析方法・目的を探すべきか。

 

読書

 「『舞姫』の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」(山下泰平)

 タイトルがとにかく長い。昨今のラノベでも太刀打ち出来ないだろう。

 作者のブログ記事を読んだことがあり、それが大層面白かったので購入に至った。明治の小説とあるが、教科書に乗るような話を扱った本ではない。当時でさえ下等とされていた、大衆向けの小説の世界について言及している。

 内容はタイトルの通りで、明治に存在した小説の紹介とその背景の解説が延々と行われる本である。この紹介がハチャメチャに面白い。現代の価値観と離れた小説の、特にぶっ飛んだ部分が軽妙な語り口で見られていくので面白くないわけがない。通して読むと今一つ面白みに欠ける作品も多いのだろうが、この本では面白い部分が抽出されているので軽快に笑いながら読める。序章の内容だけでも「弥次喜多が大砲で宇宙の宗教国に行く『宗教世界膝栗毛』」「ミクロ化して体内に突っ込む『人体道中膝栗毛』」など狂っている。本文の引用や注釈の文章もハイセンス。

 ただ、変な物語を笑い飛ばすだけの本ではない。如何にしてこのヘンテコな物語群が愛されていたのか、当時の社会情勢や読者の流れへの考察もかなり丁寧に述べられている。科学への関心が高まれば忍術は理論立てられた催眠術になるし、新しい文化が出ればどんどん取り込まれていく。流行り廃りもある。そんな語り手の努力について、実例や類似作品を出しながら多角的に考察が為されている。先ほどの弥次喜多珍道中だって、ヴェルヌの冒険小説が流行っていたり、社会的な科学への関心の高さ(ただし正確さは伴わない)などの背景が存在するのである。

 明治は変革と混沌の時代である。民衆が皆、文豪たちの純文学を読んでいたわけでは無いし、むしろ人気はもっと下等なものに集まっていたのだ。それでもそのカオスの中に確かに流れはあって、書き手の対応と努力も相応に見られるのである。方向性はやや違うが、柳田国男の言う「英雄のものではない歴史」の一端がここにあると思う。まあとにかく読んでいて笑える本であった。

 引用されている小説のほとんどを国会図書館デジタルアーカイブで読めるらしい。暇な時にやりたい。

 

 後、青空文庫寺田寅彦の随筆をいくらか読んだ。どれも理路整然として読みやすい。特に「科学と文学」は、研究が出来る人ほど論文が読みやすいという現象に一定の解を与えてくれるもので、参考になった。

食事

 朝はパンとバナナ。

 昼は学食の豚骨ラーメン。

 夜はカツ丼弁当。