十月二十二日

行動

 出掛けて片づけ等した。雨漏りを発見。台風の時もやられたばかりなのに...

 一段落つけて久々の寿司屋へ。大将が十月いっぱいで異動するらしい。

 夜は日シリを見ていたが、まあ見ない方が良かった。

 

労働

 今日も今日とて教えたり。今日は割と静かだった。

 

読書

「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」鵜飼秀徳,文春新書

 題名はセンセーショナルだが、中身は廃仏毀釈に関する堅めなルポルタージュである。全国各地の廃仏毀釈に関して、明治期の資料やインタビューを交えた筆者(現役僧侶)の調査が載せられている。

 廃仏毀釈の状況については地域差が激しい、ということがよくわかる本だった。それに至るまでの事情も多岐に分かれている。全ての起こりは明治新政府国家神道に関する施策と所謂「神仏判然令」であるが、それに対する応対が異なってくる。

 自分は廃仏毀釈に関して、政府が神仏分離を企図し、それに過剰に反応した反仏教勢力と扇動された民衆が狼藉を働いた、という印象を持っていた。本書ではそのような側面も語られていたが、それ以上に多くのパターンが述べられている。新政府に睨まれることを恐れた為政者の忖度、開化に伴った旧習への嫌悪感、お祭り騒ぎから暴徒と化したやつ、あるいは仏僧側から積極的に懐柔策に乗った例など様々だ。

 個々の事例にも引き込まれる。苛烈な廃仏、それに抵抗した僧侶や民衆、その様々なエピソードが背景と共に語られ、鮮烈なリアリティがある。仏像を薪にした風呂に元僧侶を入れさせる役人、光背を切って何とか仏像を保護した村人など、インパクトのある絵面も豊富。現存の神社に関わる話も多く、かつては本当に神仏がごっちゃになっていたこと、そしてそれを急激に変えようとしたことが読み取れる。伊勢神宮の裏山にある神宮寺跡については初めて知って心底驚いた。

 そのようにして各地で起こった廃仏の流れが、発端から結末、その後の再興まで説明されているのも本書の優れた所だと思う。一種の時代小説としても読める。資料が少ないこともあり、特に発端に関しては憶測と思われるような箇所も多いのが玉に瑕か。インタビューが豊富に用いられているのも特徴で、学術的には確かな情報では無いのかもしれないが、話の真実味や悲惨さをより増している。

 まとめでも語られているが、本書を読んでいると人間の醜さが嫌でも目に付く。昨日まで拝んでいた仏像を打ち壊して、しかしほとぼりの醒めた頃にはまだ拝んでいる人々もいる。藩主代々の菩提寺を破却した為政者もいる。僧侶側にも、あまりに堕落していたため領民から徹底的な破壊を受けた寺、自ら神職への還俗を申し出た興福寺の僧侶など胸糞悪いエピソードはある。あまりに過激だったせいで明治政府が諫める布告を出した、という点が生々しい。

 日本の大部分では平和的に神仏分離が行われたのだが、一部の地域では全滅まで追い込まれている所もあった。宗教的立場は抜きにしても、江戸以前の文化財がほぼ消滅+重文も国宝も無いという現状に陥っている鹿児島の例など見るとやるせない。僅かに残った寺や廃寺跡も、調べても好事家のHPでしか出てこないような存在に成り下がっていた。

 そんなことになっているからこそ、教えに殉じた抵抗や機転が尊いものに思える。それと、浄土真宗門徒の尋常でない結束と打たれ強さが強く印象に残った。民衆の為の教えらしい一面である。廃仏毀釈の収束にも一役買っていたらしい。

 以前読んだ「まいボコ」でも触れられていたが、どうも明治という時代は稚拙で雑な一面がある。とにかく開化についていこうとして打ち捨てられた部分も多い。松本市京都府の廃仏政策はまさにそこに拠るものであった。今は痕跡や記録にしか残っていないが、発展と混沌の時代の裏でどれだけの文化破壊があったのか、本書は数多くの事例を知らせてくれた。今後の参拝ではその辺りも調べておきたい。

 最後のまとめにおいて、廃仏毀釈は仏教界の正常化に役割を果たしたかもしれない、との筆者の見解があった(勿論文化破壊は憂うべきとした上で)。腐敗した寺や不必要な寺がこれによって淘汰されたと見なせるのである。非常に興味深い見方である。

MtGA

 現在ダイヤのランク2。グルールは楽しい。

 明日から戦績を付けようと思う。

 

食事

 朝はパン。

 昼は寿司。アジが美味しかった。

 夜は鍋。