先述した通り、二日目日光チャレンジは失敗した。したがって三日目はそのリベンジとなる。
それだけではなく、今回はリュックの忘れ物というポカを重ねていた。忘れ物窓口の都合上、始発では早すぎる。結果、6時台の電車に乗り、日光とは反対側の東海道線に揺られることとなった。7時頃に平塚に到着し、リュックを受け取って反撃開始。
上野東京ラインの直通ぶりに感謝しつつ宇都宮まで優雅な旅路、といけばまだ楽しかったのだろう。しかしそうは問屋が卸さない。年末とは言え、平日八時前の電車である。中はすし詰め、しかもこちらはリュック(大)持ちとあっては、文字通り肩身の狭い思いをすることとなる。グリーン車に乗るべきだったが、後の祭である。股の下にリュックを挟みつつ四天王像のような姿勢でやり過ごした。
東京駅を過ぎ、上りから下りへ変われば多少は楽になった。終点が目的地なので寝過ごしに対する安心感がある。駅メモをポチポチやりつつ北上した。
途中安全確認などあり、宇都宮到着は9分遅れた。日光線へは6分乗り換えの予定だったので非常に焦ったが、待っていてくれていたため事なきを得た。リュックも忘れずに持ってこられた。
平日朝で空いているかと思いきや、意外と車内には人がいる。それも外国の方が多数である。日光駅には来訪客の故郷を示す地図があったのだが、やはりというか存分にグローバルであった。
この日も天気雪が降っていた。冬の旅行では一番嬉しい天気である。
まずは昨日通った坂を上って東照宮へ。
輪王寺の三仏堂は改修工事中であった。工事用の覆いにお堂の全景写真をプリントするという妙なサービス精神が見られる。なにぶん大きいので写真でも迫力がある。
堂内には参拝できるようになっていた。周りは鉄骨に囲まれているし、時折ドリルの音も聞こえるあたりは新鮮な雰囲気である。それでありながら朱のお堂に古仏が並ぶさまは神聖な雰囲気を醸し出す。
工事の様子を上から眺めることも出来た。瓦の葺き替え作業に手間がかかるらしい。瓦の奉納も行われていた。
少し歩いて東照宮正面の参道に出る。流石に人が増える。人が増えるので屋台も出ている。昔もこうだったのだろうか。
参拝前に博物館に向かった。拝観料と合わせて2kの出費は痛いが、世界遺産なのでむべなるかな。徳川家の歴史をメインとした展示であったが、一部男体山絡みの修験道に関するものもあって面白かった。何より見たかったのは魔多羅神像だ。二童子が配色やポージング等ガッツリ二童子で感心した。良いものを見た。
そのまま東照宮の境内へ。
もう門からして派手である。さらに言えば、境内の建物はほとんど極彩色or金ぴかである。家光公は太閤以上に独特の趣味をお持ちだったのでは?と思わざるを得ない。全国の東照宮にこんな傾向がある気がするし、権力の誇示とかそういう意味を含むのだろうか。全国の大名に資金を出させるための策だった、という説を聞いたこともある。改修が終わってすぐの年だったので、輪をかけて派手な色彩であった。
東照宮に来たら見なければいけないものその1。意外と前後のストーリーが長く、これ含めて八面ある。
改修でますますピカピカになり、快晴の下で輝きを放っていた。細部の彫刻も目を見張るほど細かく豪華。納得の国宝である。
塀にも広く彫刻が施されている。
拝殿・本殿前の唐門。こちらも金ぴか。
拝殿の内部は畳敷きで、外見に比べると厳かな雰囲気であった。日光が入らない分そう見えていただけなのかもしれないが。
参拝後は御朱印を頂き、境内を徘徊する。
おみくじを引いたところ、前日の無策を咎められた。すみません......
東照宮に来たら見なければいけないものその2。左甚五郎作(らしい)。
眠り猫の門を通り、少し歩いて奥宮へ参拝した。距離があることを鑑みてか休憩所も併設されている親切設計。
奥宮は他と異なり、落ち着いた雰囲気である。家康公の墓所とされており、神聖な場所として扱われていたことが窺える。
周りに生えている木はほぼ全て杉だった。春に来るとつらそう。
本殿の方へ戻り、上神道を通って二荒山神社方面へ向かう。こちらの参道も杉が凄い。
二荒山神社の本社へ参拝。男体山を御神体として祀っており、勝道上人が山に建てた祠が創建の由来と伝えられている。実際にはより古くから山に対する信仰があったらしい。後世には修験道の拠点としても広く崇敬を集め、その性質上輪王寺や東照宮と習合して信仰されていたという。今は分離しているが、輪王寺のお堂が飛び地のように存在していることからも往時の様子が窺える。
神域が滅茶苦茶広い事にも定評がある。ここから男体山方面に繋がるエリアはほぼ神域であり、中禅寺湖やいろは坂なども含まれる。下手なことはできない。
こちらでも御朱印を頂いた。祈祷の待合室のような所に案内されたので少し緊張。日頃の行い故に居心地が悪い。
境内のすぐ近くには輪王寺の常行堂がある。となりの法華堂と合わせ、比叡山のにない堂を模したものであるとのこと。
特別拝観で中に入ることが出来た。常行三昧さながらに薄暗い堂内をぐるりと回る。光が入らないと、御本尊様(これまた極彩色&金ぴか)もどこか神秘的に見える。
御本尊の裏、隅の方に魔多羅神の祠が控えていることも確認できた。秘神であるがゆえに、博物館で見た神像は拝めない。
拝観後は後戸を確認。
さらに奥へと進み、輪王寺大猷院へ。こちらは家光公の墓所である。東照宮に比べると色合いも落ち着いており、人の少なさも相まって静かな空間であった。参道入口~門~お堂まではそこそこ距離があり、少ない建物と整然とした灯籠がなおのこと広さを感じさせる。様々な面で東照宮とは対照的であった。
お堂の中ではオリジナルの線香が売られていた。落ち着いている。
二社一寺への参拝を終わらせると、時刻は正午を少し回った頃になっていた。ここで路線バスに乗り、中禅寺湖の方面へ移動する。
中禅寺湖までは30分ほどの道のりである。途中で有名ないろは坂を登った。大きな車体ながら数多のヘアピンカープをすいすいと抜けていく。運転手さんの熟練の技が光る行程であった。
このころから空が曇り始め、雪もちらつくようになってきた。標高が上がったためだろうか。バス車内から見ている分には綺麗である。
湖近くのバス停に着き、降りたところですぐ異変に気が付く。尋常でないほど寒い。麓など比較にならないほど寒い。バス停に設置されている温度計もご覧の有様である。
この気温に湖から吹く強風や雪も加わり、地獄めいた寒さである。防寒装備をフル稼働しての行軍となった。道沿いの商店は軒並みシャッターを下ろしており、気分的にも寒さが上乗せされる。どうやら猿の襲撃を防ぐためにこうなっているらしい。流石は北限の霊長類、寒さにも強い。毛皮を分けて欲しい。
じりじりと歩いていると轟音が聴こえてくる。怪しげな窓口でお金を払ってエレベーターに乗り、崖の近くまで降りると、目の前に名だたる滝が見えてきた。
華厳の滝である。日本三名瀑という正の面でも、曰く「不可解」な負の面でも有名だろう。折からの寒さもあり、雪景色と凍った水の筋に囲まれている様子を拝むことが出来た。
近くで見ると音が凄い。ゴゴゴゴゴというおよそ水らしからぬ轟音が常に響いている。マイナスイオンなど知った事かといわんばかりに水しぶきが直接飛んでくる。寒さを大量に上乗せされたものの、それすら気に掛ける暇がないほどに落ち続けている。別に上からでも見えることは見えるのだが、滝を体感できるという一点においてエレベータに乗る価値があると言えるだろう。
他に人も少なく、じっくりと眺めることが出来た。脇にも水や雪が流れており、見渡す限り冬である。
堪能した後にお土産物屋などを見て戻る。生息していることにちなんだ猿の糞(猿の尻だったかも)という菓子が売られていた。奈良土産たる鹿の糞と再現度比べをしてみたい。
体の冷えが深刻な領域にあったので売店でコロッケを買って食べた。イワナも売られていたが、そこまで買うほどの財力は無かった。
バスまで時間があったので周辺を散策。
まずは中禅寺湖を見に行った。既に標高は1000mを越えているが、それでもなお山に囲まれている。山の中の湖である。山間から夕陽が差しており、実に綺麗だった。
湖の反対側には男体山が聳え立つ。まことにシンプルで秀麗な山体である。御神体として崇められるのも納得できる。
本当は温泉に入ったり参拝したりしたかったが、時間の都合上この日はここまで。バスで駅前に戻り、土産屋で湯葉を買い、昨日と同じように日光線~上野東京ラインと辿って帰った。今度はリュックも忘れずに円満な帰宅。
いずれ泊りで来たい土地ばかり増える旅行となった。草津も伊香保も日光も、ついでに鬼怒川などにもいずれ泊まれるようにやっていきたい。