十一月四日

行動

 8時起床後、大学へ。ラボで作業をするつもりだったが、入口が閉まっていて入れず。祝日であることを完全に忘れていた。後から先輩に聞いたところ、入る方法はあるらしい。とはいえこの時は気付かず。

 大義名分を得たうえ、秋らしい好天にも恵まれたのでお出かけを敢行。多摩動物公園など検討したが、どこへ行っても大混雑であろうことが悩ましい。逡巡の末、曙橋駅で降りてみることとした。

 

 定期券圏内でありながら、曙橋駅での下車は初めてである。車内で地図を見て予定を検討。目に付くのは防衛省であるが、不審者が入っていい場所では無いだろう。調べているといくつかの博物館が目に入ったので、それらを巡ることとする。

 

 まずは南下して第一の博物館へ向かう。出口を抜けてすぐ登り坂に当たった。駅前の靖国通りから南の新宿通りまで傾斜があり、また四谷に向かって下がっていくようだ。この辺りは武蔵野台地の東端らしい。落ち着かない等高線がそのまま目の前の坂に現れている。足腰に辛い。

 辺りは閑静な住宅街であった。新宿のすぐ隣とはとても思えない。

 

 並びにやたらお洒落な建物がある。音響メーカー・クリプトンのスタジオらしい。中身を知ると、外装も防音壁っぽく見える気がしてくる。

 

 少し歩くと目的地のつり文化資料館が見えてきた。

 釣りに関する新聞の発行元が運営しているらしい。一種の企業博物館と言えるだろうか。

 

 祝日に閉館するところも企業博物館らしい。無念......

 

 靖国通りを経由し、次の博物館へ向かう。狭い道は一定の傾斜を保ちつつ緩やかにカーブしている。道の両側には家が立ち並び、製本所や個人商店など生活感のある店もちらほら見える。親子連れや軽装のおじさんが歩いている辺りは住宅街らしい。

 しばらく進むと、左側は寺の塀、右側は公園の壁で覆われる。公園では消防訓練が行われていた。そのまま新宿通りに至る直前、左側に美術館が見えた。また、反対側の公園には目的地のおもちゃミュージアムがある。中々に文化の密度が高い。

 いざゆかんとおもちゃミュージアムの料金を確認したところ、ケチにはやや厳しい金額であった。見送って次へと向かう。

 

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自衛隊正門前」

 

 新宿通りを北上していくと、大きな交差点の脇に四谷消防署の建物がある。まずはここにある消防博物館を見ることとした。タダだし。

 展示フロアは2Fを除くB1~6Fにある。2Fは本物の消防署であるらしい。

 まず地下へ向かうと、今まで活躍してきた消防車の数々が展示されている。木製はしご車などよく生き残っていたものだなあと思う。下の車体は19世紀を感じさせるデザインであった。ペイントに目を向けると赤字の上に所属する署が書かれていて、「神田」など妙にかっこいい。「目白」は防災効果が強そう。

 

 丁度良くガイドツアーが来ていたので、便乗して話を聞いた。結構レアな車体であるらしい。元々はフロントガラスがついていたが、邪魔だということで外されていたとのこと。装備の所々で消防隊の安全が心配になる。

 

 一通り見た後は上の展示室へ上がる。3~5Fは消防の歴史を示していて、5Fから順に時代を下っていける。初めは江戸時代に関する展示で、火消しの資料が数多く並べられている。ここで纏の意味を知った。町火消以外にも色々な火消し組織が居たらしい。しかし作品に出てきて江戸っ子しているのは大体彼らだとか。赤穂浪士が集団行動を誤魔化すために火消しのコスプレをしていた、という解説は面白かった。その他、各火消の配置を示した古地図も置いてある。むしろ地図の方が気になった。

 講談風や落語風など、音声ガイドにも工夫が見られて面白い。何故か現代の設備のコーナーがあり、御隠居が超常的な知識量で300年後の消火栓の説明を行っていた。平然と第四の壁を越えてくるので怖い。問答一つで役割を知る八っつぁんの理解力も凄い。 

 一階降りると明治以降へ。混乱期の切り替えも大変そうだし、落ち着いてきた辺りに関東大震災が来るのだからなおさら苦労が偲ばれる。馬車曳きの消防車など、過渡期らしいヘンテコ乗り物もいくつかあった。新聞のスクラップで当時の状況を知ることができるようになっていたのは有難い。

 関東大震災のコーナーでは、後の阪神淡路大震災東日本大震災についても併せて解説があった。どれも性質が異なり、出火原因や死因にそれが表れているとか。災害対策の難しさが思われる。

 

 更に下がると現代の展示へ。他の階に比べて賑わっている。入り口には模型と映像を合わせた展示があり、子供たちが集っていた。他にも、各車両の模型、アニメ放映、消防士衣装、シミュレータなど各種のアトラクションがこの階にあり、大いに盛り上がっている。江戸展示の静けさが嘘のようである。

 一通り見た後は6Fへ向かい、特別救助隊に関する展示など見た。更に10Fに上がって休憩スペースへ。お昼時とあって、弁当を食べる家族連れが多い。腹が減ってきたのでコーヒーを購入。少し休んで下へ降り、入館証を返して館外へ。そのまま、目の前の交差点にあったラーメン屋へ入る。

 

 「カプチーノ状スープ」との売り文句通りの見た目である。やや味わいがまろやかになっている気がする。気のせいかもしれない。

 味は堅実に美味しかった。チャーシューも中々。

 

 

 食後、通りを北上して次の目的地へ。途中、曙橋(橋梁)を通った。四谷と牛込の境界に位置する橋であるらしい。下は谷になっていて、靖国通りが通っている。

 

 古典的角のタバコ屋が時代に適応していた。嫌煙の身ではあるが、何となく生き残って欲しい。

 

 しばし坂を登り、辿り着いたのが新宿歴史博物館である。受付でチケットを購入。特別展も気になるが、まずは通常展示へ。

 

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稲荷山の参拝ルートまで完備

 と思ったが、踊り場で足止めを食らう。大正・昭和天皇それぞれの即位記念の、即位の儀が行われた京都の地図が展示されていた。深草にどでかい軍用地があるし、市電が縦横無尽に通っているし、日向宮などの小規模な神社も今と同じように書かれているしという盛りっぷりで、つい見入ってしまった。

 

 ややあって正気に戻り、まずは通常展示へ。

 初めは縄文の頃の展示がある。学芸員の方が熱心に説明なさっている所に聞き耳を立てつつ見た。武蔵野台地の端だったこともあり、いくつかの住居跡が発見されているようだ。マンション建設地から大量の人骨が出てきたこともあったとか。まさか後日五輪会場で起こるとは思わなんだ。

 次の展示は時代が飛んで鎌倉である。ここの地にゆかりのある内藤氏の話が展示されていた。その後は江戸、ついに新宿誕生。ここを通っていた中山道と、その横に新しく出来た宿波街の模型が展示してあった。時代劇っぽい。

 

 地方博物館にお馴染みの、当時の商家を再現した展示もあった。和菓子屋だったようで、中には価格表もある。赤飯の方が白飯より安いのはどういう理由なのだろうか。

 

 ここまでは一時代2,3パネル程度で手早く語られてきた。時代が降って明治になると、展示の密度が急激に増してゆく。武家屋敷の土地が大量に余ったこと、そこに歓楽街が形成されたこと、交通の要になったことなどが合わさり、人も物も大集結していた。

 パネルには文豪文豪アンド文豪、一つ飛ばして編集者といった具合に偉人がずらりと並ぶ。特に各名所について書かれた文章を並べた展示は趣があって良い。各名所について、それぞれ4つほどの年代に分けた評価があり、土地利用の変遷が見られて興味深かった。後年になると懐古的な発言が増えるのはだいたい同じ。

 

 展示の中間地点には都電が置かれており、中に入ることも出来た。ここからは戦前の風俗ゾーンとなっているようだ。震災後、郊外から通勤という形態が増えたため、京王や小田急終結するこの新宿は大いに栄えたらしい。それに関し、庶民の暮らしに関する展示が多く並べられている。

 先ほどの商家の裏には大正~昭和前期の文化住宅が展示されており、中を覗くことが出来る。内装はほぼ現代と変わらないが、台所が圧倒的に古いのは印象的である。玄関口に入ると環境音が流れる演出もあるのだが、2パターンの内片方が野球のラジオ中継であった。大学野球だったと思う。プロ野球並みに人気があったらしい。

 道中の柱には新聞記事や広告と当時の情勢が展示されている。パネル展示では当時の歓楽街や、ムーラン・ルージュという劇場の話、映画館の流行などが仔細に書かれていた。この頃になると日記の他にも新聞・チラシ・パンフレットなど資料に困らない。どれもサラリーマン一点狙いである。

 裏側には音声・映像展示もある。学生・主婦・プロデューサーなどの生活の流れの展示も面白い。それぞれに掛かるお金も同時に展示されるところがいい。特に学生は安い飯を食っている割に先述した劇場には通い、しかし立見席を選ぶ(それでも飯三杯分の値段)所が妙に現実臭くてよかった。当時は余程流行っていたらしい。

 劇場の他にも飲み屋やカフェなど色々揃っていたようである。名物カフェとして店内に白鳥を放している所が紹介されていたが、あれはどんな配置になっていたんだろうか......?

 

 通常展示はここまで、後は戦争被害を簡潔に述べて終わっていた。戦後も少し気になる所ではある。歌舞伎町だったり新宿二丁目だったり、アングラに寄っていくのだろうか。先のムーランルージュは1950年に閉まっていたが、その原因もストリップ劇場の台頭であった。

 

 最後まで見た後、展示を振り返りながらうろついていた最中に学芸員の方に声を掛けられる。江戸時代の新宿(内藤宿)の模型について説明してくださった。なんでも新宿は一度街道廃止の憂き目にあったのだとか。その原因は無許可で風俗店を営業したためとのことで、やや自業自得感が漂う。吉原限定という建前だし。しかし全国の宿場町ではよくあった事だとか。まあ泊りだもんね......

 

 通常展示の後は特別展へ。「近代測量150年記念 測量×地図」とある。国土地理院の主催で、その誕生から150年の記念であるらしい。

 その名の通り、展示室は見渡す限り地図で埋め尽くされている。時代順に並べられた展示となっており、スタートは伊能忠敬大先生の地図である。初っ端から精度が高い。後の展示にある空撮なりGPSなりの測量法を見るにつけ、徒歩で測った伊能翁の異常な丁寧さと執念が際立つ。地図を見ると山脈の位置まで(おそらく麓からの目測で)測られていて、それが大体合っているので恐れ入る。瀬戸内の島々も殆ど今と変わらない精度で書かれていた。その時代らしく、街道や宿場も明記。中山道和田~下諏訪間の山道もばっちり。

 江戸の頃の地図は他にも展示されている。今との共通点・相違点が面白い。今に比べると水路が非常に多く張り巡らされている(特に墨田川東岸と神田あたり)のが印象に残っている。水運がメインだったのだろうか。他に気になったのは秋葉原周辺である。江戸の地図では秋葉社と火除け地があるだけであった。ところが明治に入ると地名に秋葉原が登場する。他の要素を見るに、山手線開通後に名前が定着したのだろうか。

 続いて明治に入ると、展示のメインは地図の作成・管理になってくる。地理院主催なだけはあり、銅版画の原盤から原図まで貴重な資料が並べられている。測量法も細かに展示されていた。

 

 明治初期の地図も勿論存在する。震災前とあって区割りが雑然としているほか、軍用地が目立っている。築地も昔は軍用地であったらしい。やはり軍用地には機密上の注意が必要とされていたらしく、様々な嘘が書かれているとのこと。道幅が狭くなったり、新宿御苑が果樹園になったりしていた。

 佃島・石川島に加えて新たに登場した月島も目立っていたが、なぜか白塗りであった。

 

 戦後になると、最初に出てくるのは戦災地図である。オレンジの部分が被災地であるらしい。都心はかなりの広範囲がやられている。その分皇居を始めとした被災しなかった場所が目立つし、理由が気になる所である。月島周辺に関しては、聖路加病院が近いから助かったとの話を聞いたことがあるが、本当なのだろうか。

 最後の方には近代の測量法が展示されている。空撮用の飛行機もあるらしい。最近はドローンも活用されているとのこと。

 終了間際、学芸員の方に色々とお話を伺うことが出来た。先ほどの戦時地図や、東京都内にある基準点(経緯度原点がロシア大使館の近くにあるらしい)の話などして頂いた。ありがたい。最後の方はやや脱線してその方の趣味の話、忠臣蔵の墓の話などになっていたが、それはそれで面白いことを聞けた。都内の基準点を歩いて回るというやたらニッチな企画があることも教えてくださったが、そちらは残念ながら予定が合わず。

 展示を見終わった後、アンケートと引き換えに缶バッジを貰った。外にも地図が展示されていたので少し見る。こちらは最初に階段で見た即位記念地図の平成・令和版で、東京の様子をうかがうことが出来る。特に令和版は出来立てほやほやの最新版。三十年前の令和版と比較すると、建物があったりなかったりして面白い。まだ晴海展示場や石川島播磨重工業が存在していたことを知り驚愕する。

 退館の際、お土産に東京の鳥瞰図クリアファイルを買って行った。鳥瞰図の視点はリアルな部分と想像の部分が入り混じっていて好みである。帰宅後、高校の校舎や著名なビルなどを見つけてはしゃいだ。

 

 外に出るともう4時を過ぎている。次の目的地の為には新宿線に乗る必要があったし、地図展示を見てかなり興奮状態にあったので市ヶ谷まで歩くことにした。

 

 道中では防衛庁の前を通った。思ったよりセキュリティがゆるい。

 

 四谷方面へ大幅に遠回りして迎賓館見学をたくらんだが、とっくに見学時間は過ぎていた。無計画による無駄足であった。外堀の外周道自体は面白く、土木学会や四谷見附小売市場など予想外に面白スポットが多いことを知った。後、橋から四ツ谷駅が見えてやや楽しい。

 四谷交差点からは東北方向、麹町方面へ。途中通った通りには文豪の旧居がずらりと並び、「番町文人通り」と名付けられていた。千代田区らしい名所の連続である。これまた高級感のある、麹町六番館と冠した立派な建物も目に入った。レストランらしいが、どうやら閉店したとのこと。道中には日本テレビのスタジオも。

 大通りに出ると靖国神社が目に入った。そのまま左へ曲がり、市ヶ谷駅から新宿線へ。

 

 この日は古本まつりの最終日であったし、時間的にも余裕が残っていたので、三度目の突撃を敢行した。雍正帝や境界の本など買い、満足して帰る。