冬の諏訪御神渡り2018・二日目

一日目はこちら:http://chestnutknee.hatenablog.com/entry/2019/10/21/143646

 

諏訪の暁

 5時に起床。ドリンクバーのコーヒーを飲み、荷物を整理して外へ。湖畔に向かい、南へ歩いた。

 外気は予想以上に極寒であった。気温をググるとマイナス6℃となっている。加えて近くには巨大な氷の塊があるため、それ以上に冷えていたことだろう。露出部には震えを通り越して痛みを感じる。マスクやカイロやその他必要だった装備を思い返してやや後悔した。

 

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 冬ということもありまだ日の出前、辺りは真っ暗である。対岸の灯と月明りによって、おぼろげに湖が確認される。全面結氷していなかったら、湖面に反射してまた格別の眺めになっていたかもしれない。紺珠伝2面みたいな。

 そんな時間でも鐘の音が聞こえてくる。おそらく対岸から渡ってきた音で、山々に当たってしばらく響いていた。中々にたくましい音量で、ご近所さんの睡眠時間がちょっと心配になる。

 

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 しばらく歩くと日が昇ってきた。山間に広がる朝焼けから、まだ暁の対岸へのグラデーションが美しい。沈みかけの月も西の空に見えており、やたらと神秘的な風景であった。君の名はっぽさもある。カメラの性能が及ばず悔しい。

 凍っている湖面と、それに積もる雪もはっきり見えるようになった。人の足が及ばないため、湖面の雪はまっさらなままである。じっくり眺めていたいものだが、止まっていると命の危険を感じるためやむなく移動。

 

 少し先には一の御神渡り・高木地点が。

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 前日にも見たが、朝日と月の下ではまた違って見える。それ以前に、昨晩の冷え込みによって実際に成長しているのかもしれない。

 

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  到達点には御柱が立てられていた。ここから神が歩かれたのだろうか。

 

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立ち往生

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白一色

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側溝から立ち昇る湯気

 

拝観式

 湖面のもろもろを眺めつつ歩き、中央線の踏切を越えて上諏訪市内へ。しばらくして当初の目的地、八剱神社へ到達。人でごった返す境内の隅から、拝観式の様子を拝見した。

 いくつかの祝詞の奏上と、氏子の方々への挨拶が行われた後に、神職の方と氏子代表数名がバスで湖へと向かった。各地点の御神渡りを観測し、それが御神渡りであると定めて報告するのが拝観式の主題である。しかし、道路の混雑を鑑みて、岡谷湊の拝観式は車中から行うとのことであった。この日の諏訪に限って緊急車両的な扱いに出来れば......

 

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 式終了後、参拝してから外へ。上諏訪駅から下諏訪駅へ戻り、赤砂崎公園へ。

 

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圧が強い床屋

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 道中、道祖神碑を見掛けた。その周りには御柱が。ここの御柱はかなり手が込んでいて、札もキッチリ付けられている。

 どうやらこちらの道祖神でも、御柱祭の年には山出し・里曳きが行われているらしい。調べるとセイコーエプソンを始めとした社用地の社についても行われているようで気になる。

 

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 ややあって公園へ到着。駐車している車の数も、スタンバっているカメラマンの数も中々多く、賑わっている。拝観式までは少し時間があったので、湖面と御神渡りを眺めてうろうろしつつ待った。

 時折、立ち入り規制の案内や注意喚起のアナウンスが流されていた。消防や警察の方々もおり物々しい雰囲気である。大事な神事である以上当然のことだろう。

 今回は御神渡り地点が湖岸に近い所であったため、カメラマンも指示に従って安全な湖岸で待機していた。これが湖の内側に渡った年ともなると、制止も聞かず沖まで出る人も多いらしい。氷の割れる音も時々聞こえる中、豪胆なものである。待機している消防はそのための備えでもあるのかもしれない。

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  しばらく待っていると、神職の方と氏子の方々が到着。規制線の内側を通り、湖面へと向かって行かれた。氏子の方々は袴姿の上にしめ縄を身に掛けている。

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 御神渡りを越え、隆起の激しい地点まで到達した所で神事が執り行われた。遠さ故にハッキリとは聞き取れなかったが、まず祝詞の奏上やお祓いが行われていた。

 拝観式では、長さや向きの確認も行うそうだ。竹竿のようなもので湖面を突くような動作もあったように見えたが、強度の確認なのだろうか。

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 その後も何度か祝詞が上げられ、式は厳かに終了した。参列者の方々が来た道を戻り、マイクロバスで他の御神渡り地点へと向かって行った。

 御神渡りのある年は氷が分厚く、突如割れることが少ないとのことだ。しかし、やはり氷上に大勢の人がいるのはやや不安を伴う。無事に執り行われて何よりである。

 

 参列者の方々を追う様に湖岸を歩き、再び八剱神社へ向かう。高木でも拝観式が行われたようだが、流石に追いつくことは出来ず。式の残滓のみが御柱の近くに残っていた。

 朝と同じ道を歩き続け、八剱神社に到達。少し出遅れたが、拝観報告祭を拝見することが出来た。氏子の方々と神職の方が本堂に集まり、御神渡りの状況を神様に報告していたとのこと。

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 終了後、氏子の方々が身に付けていた注連縄のお焚き上げが行われていた。勢いよく燃え盛っており、冷えた身には二重にありがたい。

 その後は再び参拝し、社務所御神渡り記念のお守りを頂いた。後で調べたらこの後注進式という具体的な報告の神事が執り行われていたそうだが、この時は見逃していた。一通りお参りした後、晴れ晴れとした気分で上諏訪を歩く。まずは八剱神社からほど近い手長神社へ向かうこととした。

 

諏訪歩き

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 本当によく晴れていた。その分湖面の白さが際立つ。

 

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 手長神社も雪景色であった。前回の参拝は夜中であったため、再訪の必要を感じていた所である。ということを2019年の再訪の時にも書いたが、この時の参拝を写真を見返すまで思い出せなかった。罰当たりで申し訳ない....

 

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 境内には社務所兼住宅のような建物がある。その前には奉納された石碑などが置かれているが、その中でもひときわ目立つのがこの地球ゴマである。流石は東洋のスイス。

 

 この時はまだ11時ごろ、電車まではまだ4時間ほど余っている。そこで、かねてより気になっていたハルピンラーメンと銭湯を浴びに下諏訪へ向かう。

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 下諏訪駅を降りてから町役場まで五分ほど歩き、ハルピンラーメン下諏訪町役場前店へ到達。

 長野(特に南信)ローカルのテンホウと並び、諏訪ローカルのラーメンとして名を馳せるお店である。ここのラーメンはスープが異様に尖っており、ハーブだか香味だかよく分からない強烈な味わいが潜んでいる。ニンニクとのコンボでさらにスパイシー。それでいて麺とも絡んで美味、白飯との相性も抜群と誠によく分からない。中華料理の薬膳の味が最も近いだろうか。病みつきになる味である。

 

 食後は児湯へ。下諏訪の湯は癖が無く浸かりやすい。加えてどこも熱々の湯で、少し入っていただけでもほかほかになる。ぬるめの打たせ湯と往復しつつ、30分ほどで上がる。

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 どんな浸かり方をしようが浴後に八ヶ岳牛乳を飲めば優勝できる。むしろこちらがメインかもしれない。

 

 浴後もまだ時間があったので、下社に参拝しつつ辺りを散歩。

 

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「フィギヤー」スケート

 秋宮の裏にはスケートリンクがあった。発祥の地であるらしい。諏訪圏は昔からスケートの盛んな地で、かつては諏訪湖上をリンクにしていたこともあったとか。御神渡りがあれば上に乗っても大丈夫、という基準になっていたという話もあるらしい。

 

 参拝の後は駅へ向かう。一日延長の条件として早めの帰宅を課されていたので、名残惜しいながらも東京へ。中央線を揺られ、山々の間を(ほとんど寝落ちながら)抜けて帰還した。