八月十九日-三陸旅行

気仙沼

 朝五時に起床。バスは六時半出発だが、余裕を持って早めに起きた。

 

 

 準備して外に出ると住宅街である。明るい時間になるとなお場所の異常さが際立つ。住んでも居ないのに家の付近をうろつく成人男性、職質されても文句は言えない状況だ。慎ましやかな行動を心がける。

 

 

 折角なので海の方へ向かう。まずは川を越えなければならないが、橋が遠いのでしばし歩くこととなる。

 津波の際に川も被害を受けたのだろうか。あちこちが工事中であった。工事期間の長さに心が痛む。終了見込みの存在に救われる。

 堤防は新造されていた。川に沿った滑らかなカーブ、無機質ながら綺麗である。

 大川。丁度日が出ていていい景色だった。

 橋も出来たて。

 橋を渡ってからしばらく歩く。途中セブンイレブンで補給を行った。地元っぽい飲み物など無いかと探したが、乳製品くらいしか無かったので断念。

 未だ空き地の目立つ町並みである。しかしながら建設予定地もあちこちにあった。

 

超低温冷蔵。海に近付き、水産加工系の倉庫が立ち並ぶエリアに入った。

 

 想像をはるかに超える波高。津波の恐怖を物語る。

 

 

 会社の中に、気仙沼水産高校の跡地の記念碑を置いている所があった。加えて、横に小さな新しい記念碑も並んでいる。そちらには、学校の記念碑が流されたものの、数十m先で発見され、見つけた方の尽力があって元の場所に戻ってこられた、ということが書かれている。この規模の石碑が流されながらも甦ったことに驚く。

 

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 地区の南端では気仙沼湾横断橋の工事が行われていた。遠くに橋げたが続く様子を見ると、作り方が何となく推測出来て面白い。

 家の建設予定地もそうだが、これからの発展を示す風景は価値のあるものだと思う。

 

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 気仙沼合同庁舎。こちらにも波高が示されている。

 

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 気仙沼湾。船のラッシュアワーだった。

 色々な物を見ながらふらついていたが、ふと時計を確認したらもう六時半のバスには間に合わない時間&距離となっていた。諦めて更にふらつく。

 海沿いを歩いていくと、気仙沼魚市場に行き当たった。流石に中には入れなさそうだが、遠巻きに様子を眺めることはできる。今着いたであろう船から、魚がベルトコンベアに乗って運ばれている。鬱陶しいほど飛び回るカモメ(ウミネコ?)といい、ガソリン臭といい、行き交うターレといい、活発な市場ぶりがそこかしこに見られて楽しかった。

 

 

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 市場の向かいには、みしおね横丁というミニ商店街があった。後で調べたところ、今年七月に出来たばかりのスポットらしい。看板の朝ご飯の文字が気になり、侵入。最奥部の鶴亀食堂へ向かう。

 

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 刺身はまだ用意できていないとの案内を受け、C定食(800円)を注文。この日のおかずはメカジキのカマ煮である。ご飯とみそ汁はお替り自由だった。

 このメカジキのカマ煮が滅茶苦茶に美味しかった。じっくり煮込まれたであろう身にはタレが深く染み込み、程よく甘辛い。さりとてメカジキの滋味も消えず、噛む度にじわりとうま味が広がる。特筆すべきはご飯との相性の良さである。四杯ペロリと行けてしまった。朝なのに。

 みそ汁もお替り自由ながら、鰹のアラがたっぷり入った豪華版。汁にしっかりと鰹の出汁が染みわたっている。追加でもう一品魚を食べているようなものである。

 800円でも安く感じるほどの贅沢な朝食である。みそ汁と米が美味しいので安めの納豆定食でも十二分に満足できたと思うが、カマ煮を選んだのは大正解だった。

 

 カマ煮に舌鼓を打っている間にも、更にいろいろなイベントがあった。まず、釣り人と思わしき方々が、なんと鰹と共にいらっしゃった。漁師ではないと仰っていることにまた驚く。後で会話に聞き耳を立てたところ、どうやら色々な海で釣りをしている方々らしい。すげえ。鰹が持ち込まれるや否や、刺身定食のメニューが解禁される店のスピード感も凄い。他にも、お爺さんがいらして何かを捌いていた。

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 なおも食べていると、店の方から唐突に小鉢を頂いた。曰く、これはマグロの卵で、遠洋漁業の方が帰ってきたので入手されたとのことらしい。そんな貴重なものを大盤振る舞いなされて大丈夫なのですか????

 マグロの卵は見るのも食べるのも初めてである。小さめの魚卵といった感じで美味しかった。勧められた通りに醤油を足すとなお美味しい。良いものを頂いてしまった。 

 朝ご飯を食べているだけで色々なイベントがありすぎる。その上何もかも美味しい。本当にありがたい。他のお店や時間も併せ、また行ってみたい横丁であった。

 

 ご飯に興奮していたせいで、次の七時半のバスすら危うくなっていた。早歩きで駅へ向かう。

 

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 気仙沼駅はやや高い、奥まったところにある。進んでいくにつれて古い建物が姿を見せてきた。駅前通りはレトロな雰囲気である。一見すると被害のないまま残ったように見えるが、この辺りもかなり浸水したらしい。それでもたくましく復活、営業している。

 

 

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 小走りを挟みつつ、何とか七時二十五分には駅に着いた。
 震災復興への取り組みとして、大船渡線ポケモンがコラボしている。よって気仙沼駅構内もポケモンだらけである。震災後のコラボとあって、第五世代のポケモンが多い。

 

大船渡線BRT

 前日に購入した18きっぷを利用し、BRTに乗り込んで北上する。昨日と比べれば流石に人は多かったが、それでもまばらであった。旅行者と地元の方が半々くらい。休日の朝ということもあるだろうか。

 

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 昨夜とは違い、外が明るいので心行くまでリアスを見られる。気が付いたら湾内、すぐに山道、山道から海がちらっと見えて、またすぐに海近くの湾内、という風に景色が目まぐるしく変わる。入り組んだ海岸の内側から見た景色は妙に面白い。それぞれの湾で海岸線の形や海の様子が異なるのも面白い所。いずれも波は穏やかであった。

 

 昨日と同じく、かつての線路上を走るBRTが市街地に入る所もあった。大船渡線BRTでは、終点の大船渡と陸前高田がそれにあたる。陸前高田に入る時、初めの停留所は奇跡の一本松前だった。

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 一本松が残ったということは四百九十九が流されたということで、未だ傷跡の残る周辺は被害のあったことを如実に伝えている。残された旧庁舎は痛々しく、胸が締め付けられる思いである。だからこそ一本松が尊いものであるのだろうし、勇気づけられた人も相当いたのだろうなと思う。

 

 市街地を進むと高校前の停留所に差し掛かる。ここで一気に人が降りて行った。他の土地でもそうだが、学生の存在は生活が続いていること、あるいは先へ続くことの何よりの証左だろう。旅先で見られると少し嬉しくなるのだが、今回はなお嬉しかった。

 

 まだまだ続くリアスを眺めながら北上する。そのまま終点の盛まで突っ込む予定だったが、時間に余裕がありそうなので大船渡魚市場前で途中下車。歩いている所で車両通行止めのトンネルに当たり、少し困惑していたが、警備員さんに助けて頂いて直進。大船渡魚市場へ向かった。

 

大船渡魚市場

 調べたところ一般見学可能だったので突撃。九時の展示開放時間の少し前に到着、ちょうど腹を下していたのでトイレにダッシュ。脱がれたツナギが洗面所に置かれており、潮の香りと共に早速の市場感。用を足している間にも「サヨリがケース300円」「イナダが170円」「イナダ終了」などとアナウンスが聞こえてくる。場所はアレだが、臨場感が凄い。

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 トイレの出口は市場の出入り口にほど近い所だった。当然中には入れないが、窓から様子を覗くことが出来る。すぐ近くにヒラメやタイのケースがあった。遠くに目をやれば、人や魚やカモメや船やフォークリフトがせわしなく行き交っている。

 競りも間近で見ることが出来た。仲卸の方はタブレットを手にしていたり、ワイヤレスマイクで通話していたりと、IT化の進んでいる様子がうかがえる。

 

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 じきに9時になったので、三階の展示室へ。大船渡の漁業について様々な展示がある。入口すぐ近くに展示されているのは津波被害であった。大震災直前と直後の航空写真が各港について表示されている。船の集う港が、次の瞬間には一面茶色になってしまう。あまりにも痛々しい。港に加え、養殖場も甚大な被害を受けていた。

 そこからここまで復興する軌跡の展示には熱意と力強さがある。いついつに港再開、何年で養殖再開、と次々展示されていくさまは頼もしい。

 新造した市場としての取り組みの展示も中々面白い。情報管理にはかなり気合を入れていて、入荷から卸値の状況まで一括してサーバー管理に移行しているそうだ。肝心の情報伝達は相変わらず音声であるとはいえ、かなり効率的になった様子がうかがえる。市場のエリア分けや水の配分など、小規模だから出来る効率化と衛生管理の取り組みも面白かった。水の中にシャーベット状に氷を入れて冷却、というのはとてもいいアイデアだと思う。

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 展示室のほかに食堂もあったようだが、流石にパス。展望テラスから大船渡湾を眺め、しばらくしてからバスに戻って盛駅へ向かった。

 

三陸鉄道リアス線

 盛駅からは三陸鉄道へ。この先の釜石~宮古間が三月にJR山田線から移管され、南北リアス線が繋がったこともあり、今話題の路線である。第三セクターなので18きっぷは効かない。

 車両は外観・内装ともにレトロなもので、全席クロスシートだった。通称さんりくしおさい、と呼ばれるらしい。迷わず進行方向右側を選ぶ。

 

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 車内はやや混んでいた。見た感じ家族連れが多い。車窓は観光列車に相応しいもので、様々なリアスが見られて飽きさせない。眺めの良い所では低速運転にしてくれた。

  

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 様々なリアスが見られると同時に、津波被害も様々に見られる。原っぱが広がり、船が乗り上げたままのような所もあった。しかし、建設中も含め、どこの湾にも必ず新造の堤がある。被害抑制への強い意志が建っていた。

 船の近くには「三陸鉄道を花で飾ろう」という看板と共に色とりどりの花が植えられていた。期待を受けた鉄道である。

 途中で建設中のラグビー場(とご婦人方が仰っている場所)を見た。ラグビーワールドカップ向けのものだろうか。前後含めて県全体で推されている様子を見た。良き大会になってほしい。

 

 釜石を過ぎると人がたくさん乗ってきた。そのまま終点の宮古まで進み、降りて休憩。当初の予定ではそのまま盛岡に向かうつもりだったが、車内で良い場所を知ったので予定変更、宮古の先へ向かう。乗り換え30分の間に昼食。駅メモ内の情報から良さげなラーメン屋を知り、市内へ向かった。

 

 

 

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 うなだれた。

 

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 三陸鉄道の経営に貢献!と内心叫びながら駅でラーメンを食べる。これも茸っぽい出汁が効いていて普通に美味しかった。安定感のある醤油ラーメン。

 

 

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 宮古駅には三陸鉄道の車両が色々と停車している。ラッピングも様々だ。

 怪しい鹿もいた。

 

 ラグビーのラッピングを施された車両に乗り込み、北リアス線へ。ほどなくして目的地の岩泉小本駅へ降り、路線バスに乗り換えて目的地へ向かう。

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 岩泉で発見されたらしい。 

 

龍泉洞

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 天然記念物の鍾乳洞、龍泉洞である。

 恋人の聖地でもあるらしい。単身で乗り込むには不利な要素でしかないが。

 

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 鍾乳洞らしく中はひんやり10℃前後。持ってきた長袖シャツがここに来て役立った。

 湿度も90%越えとあり、床壁天井ともに湿っている。鍾乳洞と聞いて期待するイメージ通りで、たいへんワクワクした。

 

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 景色もバリバリに鍾乳洞だ。狭い洞窟の中を点々とライトが続き、全ての岩は言いようのない奇妙な構造に覆われる未知の世界。ライトアップも怪しい雰囲気を掻き立てる。

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 ただし特徴的な岩の名前は亀やら地蔵やら和が強く、妙に安心感がある。

 

 鍾乳洞としてはそれほど大きなものでは無いのだが、ここには特徴的なものが二つある。一つは蝙蝠だ。道中に蝙蝠穴があり、運が良ければ鉢合わせることもあるらしい。今回は運が悪かった。

 もう一つは地底湖である。

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 地底湖は尋常でないほどに澄んでいる。澄みすぎていて足元が怪しくなり、浮いている感覚すら覚える。30~90mと見た目からは想像のつかない深さであり、吸い込まれるような感覚に陥った。上からスマホで写真を撮っていたが、落としたら二度と戻ってこないだろう。透明な中を沈んでいく様子はちょっと見てみたい。

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 第一~第三までを見ることが出来たが、この先には更なる湖の存在が予期されているらしい。ロマンがある。

 

 湖を過ぎると、少し上る階段があった。洞窟の壁を削るように上ったり下りたりしていく道には興奮させられる。細い道であったのでなおのこと楽しい。洞窟内で100mも高低差があることにも驚く。洞窟良いね。

 しかしかなり上り下りがきつい道であり、引き返しが困難なこともあって入口には注意喚起があった。途中で疲れても戻れないのはつらそうである。

 溶けて垂れ落ちるような壁を堪能しながら下り、元の道に入って外へ出る。出た瞬間に眼鏡が曇った。流石に洞内よりは暑いが、それでも24℃と快適な気温であった。

 

 そのまま橋を渡り、川と道路を挟んで向かいの新洞博物館へ向かう。ここは洞窟をそのまま展示室に利用した、いわば天然の博物館である。昔は龍泉洞と一つながりだったのが、今渡ってきた川によって分断されたらしい。

 内部は貴重な資料が多数並び、撮影禁止である。というよりは、資料がそのまま洞窟の壁から床から天井から生えている。石柱石筍などは勿論、昔水流が流れていたことを示す棚や、シャボン玉状に膨らんだ石灰水の様子を残す球、先ほどの川に繋がる源流など、洞内の様々なものに成立経緯や環境等の解説が付けられている。先ほどは謎の構造物だったものの解説を知ることが出来るのは有難い。洞の奥の方は研究区域として立ち入り禁止になっている辺りはガチである。

 面白かったのは、縄文時代に洞に住んでいた人々の展示もあったことである。洞から発掘された人骨や鹿の頭骨から存在が推測されたらしい。確かに住みよい場所である。

 再び洞から出て、少し休憩する。地底湖の透明な水は飲用にも適しているらしく、蛇口があったので少々頂いた。確かに美味しい。土産屋には水を利用した化粧品やサイダー、コーヒーなどが販売されている。土産用に少し買って行った。その後屋台で田楽を食べたが、滑ってスマホに味噌をべたりと落としてしまった。

 

 龍泉洞から盛岡へのバスもあるのだが、18きっぷの都合を優先して岩泉町から出る路線バスに乗ることにした。町まで30分ほど歩くこととなる。標高も高く、完全な山道であり、やや霧がちでもあった。雨が降らなかったのは幸運である。

 しばらく進んで着いた岩泉町は、山間の町にしてはかなり発展していた。ローソンもある。

 高低差があり、山と川に囲まれており、魅力的な風景であった。近くに高原牧場があるようで、少し気になる。

 

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 道沿いにはちょくちょく時間が止まったような看板がある。営業している所もあるのが凄い。

 バス停近くにあったスーパーで補給を行い、バスを待つ。

 

 到着したバスはマイクロバスであった。席は少ないが、自分の他にも何人か乗っている。出発後は市内を抜け、山道に入った。その後も何度か町に入ったり山に出たりを繰り返しつつ進んでいく。途中で自由乗降区間がある辺りは地方のバスらしい。学生が数人、家の近くらしき場所で停めて降りて行った。

 三つ目の町を過ぎるともう乗ってくる人も降りる人もおらず、運転手さんと二人きりである。

 車内で調べたところ、このバスは廃線になった岩泉線の代替路線であるらしい。廃線になったのが5,6年前と比較的最近であるせいか、駅舎や線路はほとんどそのまま残っており、車窓から時々見える。岩泉駅は町の施設に転用されており、構造もそのまま残っているらしい。いずれ見てみたい。

 1時間半ほど乗って、山田線の茂市駅に到着した。この駅から岩泉線が出ていたらしい。ホームも線路も残っているが、すでに封鎖されている。跨線橋も通れなくなっていた。

 使わなくなったホームには草が生え、駅名表は塗りつぶされていた。諸行無常を感じる。

 

 10分ほど待って、使われている方のホームから終電に乗り、盛岡駅へ向かった。盛岡駅じゃじゃ麺を食し、乗り換え後は東北本線で南下する。銭湯に入りたかったが、ついぞタイミングを見つけることはできなかった。

 深夜の花巻駅周辺を徘徊し、30分後の電車に乗り継いで終点の一ノ関駅に着いた。今日の宿はここのネカフェである。

 

 が、ここで不用心さが祟り、スマホとモバイルバッテリーの電源が双方切れる。ネカフェの位置は大雑把に確認したのみ、現地の地図も無い状態で決死行の開幕となった。

 駅前地図の範囲は狭く、位置を確認することも出来ない。取り敢えず大通りに向かって進み、ネカフェのある方角へ進む。

 進みながら必死に地図を思い出し、隣にまねきねこがあったことに気づく。ここでこの配置からネカフェが国道沿いにあることを推測した。

 結果はビンゴで、何とか寝床を得ることが出来た。あわや野宿という思いは二度としたくない所である。電源管理が今後の教訓となった。

 

 次の日の18きっぷ耐久レースに備え、すぐに就寝した。

 

 

・食事

 朝はメカジキのカマ煮定食。

 昼はラーメン。

 夜はじゃじゃ麺