一ヶ月間が空きましたが、まだ一日目、11/22の記録です。
今回は八瀬・大原方面について。相変わらずのクソボケ写真・ヘタクソ日本語ですがご容赦ください。
八瀬比叡山口駅で降りた後、瑠璃光院に向かった。春と秋のみ公開されており、大層綺麗な床紅葉が見られると評判である。期待しつつ向かうと、道中の駐車場に長蛇の列ができていた。その正体は拝観券の販売テントであった。阿呆なことに気づかずこれをスルーし、現地に行って戻ってくることとなった。列の長さは変わっていなかったが、それでも一時間待ちである。今後の予定が圧迫されることも考え、あえなく断念。
とはいえ行かないとなれば時間が余るので、少々散歩に出る。
・八瀬もみじの小径
300mほどの遊歩道の両脇にもみじがギッチリと生えており、歩いて楽しい道である。すぐ下を流れる川の音が聞こえるのもよい。明治期の遺産などもあり、15分ほどで歩けることから乗り継ぎの暇つぶしにはピッタリだろう。
ひとしきり回った後にバス停に向かう。流石に紅葉の時期なだけあって、平日でも人が大勢いた。
山も綺麗に色づいている。
大原行のバスに乗り、15分ほど揺られていた。かなり奥まったところではあるが、意外と人家が多かった。歴史の古さは伊達ではない。
しかし、この風景を見て京都だと即断できる人はいるのだろうか。
外を眺めているうちに大原着。古くから隠遁の地として知られ、静かで物寂しい雰囲気が漂う。市街地のように、人でごった返すこともない。山の間にあるためか空気がひんやりとしていることも、雰囲気の演出に一役買っている。夏はさぞかし過ごしやすいだろう。この時は少し寒かった。
バスを降りた後は三千院へと向かった。ここはやはり有名なようで、道中に土産物屋や食べ物屋が立ち並ぶ。休憩がてら漬物屋に立ち寄った。この土地は柴漬けに縁があるそうだ。それとは全く関係ないが、キュウリの一本漬けを頂いた。キュウリ美味しい。
参道の脇には川が流れていた。紅葉もちょくちょく表れており、エモい。しかし寒い。
三千院の近くまで来ると、流石に混んでいた。聞こえてくる言葉は中国語と関西弁と標準語が3:2:1くらいであった。同じ京都の観光地でも、奥の方に行くほど外人さんの割合が増える気がする。
11時半と少し早いが、ここで昼食とした。参道の芹生茶屋さんでいただく。
・大原女セット
そば、ごはん、とろろに柴漬けと小鉢のセットである。素晴らしい人権飯であった。素朴な味わいが冷えた体に染み渡る。小鉢の山菜や柴漬けなど、噛めばジワリと広がる美味しさがたまらない。とろろがまた絶品で、醤油と合わせてご飯に合う。出来ることなら四杯は食べたかった。
食事処にはテーブル席を囲むように座敷が配置されており、その外側にぐるりと窓が張られていた。大原の山々がよく見え、風情のある店内であった。
食後の休憩を済ませ、三千院へと向かう。
・三千院
比叡山に近いだけあって、天台宗のお寺である。比叡山周辺の地を転々とした後、この地に落ち着いたそうだ。
写真は往生極楽院である。有難そうな名前に違わず、大きな阿弥陀様が中に鎮座されている。写真右後方には、わらべ地蔵という奇妙で愛らしいお地蔵さまがいらっしゃる。余りにコロコロとしたお姿であらせられるので、初めは石ころかと思いスルーしてしまった。
拝観順路をしばらく進むと、聚碧園という庭園が見える。作家の井上靖が「東洋の宝石箱」と称賛したとか。
この時期はだいぶ紅葉も落ちており、絨毯のごとく水面に広がっていた。しばし座って眺める。
建物内を見て回り、仏様を拝んだ後、外に出る。背の高いもみじが並び、凛とした佇まいを見せている。
往生極楽院を過ぎ、少し登った先にいくつかお堂がある。お参りした後しばし休憩。
弁財天像・後ろから。流石は宗教のるつぼな七福神の一柱、寺の中で神仏習合の名残を残している。仏教の寺に神道式で祀られるインドの神様である。
宝物殿など見学した後に境内を出た。
その後はしばし大原を散歩する。天台宗の一大拠点であったようで、大小様々な寺が並んでいた。
道端にも紅葉が点在し、実に綺麗である。
その後は少し歩いて山道を登り、来迎院へと向かった。こちらも天台宗の寺院であり、かつては天台声明の道場として名を知られていた。そのため、声に関わる仕事にご利益があるとされ、境内には音楽関係の絵馬や祈祷札がちらほら見られる。この日は内部で重文の公開もされていたため、拝ませていただいた。
その後、寺の裏手にあるという音無の滝を見に行く。途中で道が行き止まり、側に滝が出来ていたので、はあこんなものかと会得して引き返した。しかし後から調べると、これはただの堰であり、本当の滝はもっと奥にあったそうだ。どこで道を間違えたのだろうか。いずれ再チャレンジしたい。
その後は大原をブラブラ歩く。
長くなってきたのでさらに分割。その3に続く。