秋の熊野旅行2019・二日目

一日目はこちら:その1 その2

川湯・朝風呂

 風呂に入りたい一心で五時起床。まずは宿泊している別館の大浴場へと向かう。こちらは中規模の内湯が一つあるのみで、本館のそれと比べて随分こじんまりとしている。しかし泉質は劣らない。充満する硫黄臭と湯中に舞う湯の華が温泉であることを声高に主張している。温度は本館の内湯と同じくらいのやや熱め、寝起きの頭と全身にシャッキリと効く。30分ほど浸かり、一旦部屋に戻って休憩。

 荷物を整え、缶ビールを裾に潜ませてから本館へ向かう。この時はまだ日の出前であり、辺りは今なお薄暗い。朝風呂には早かったと思いつつ大浴場へ到達。前日と同様に湯浴み着を携え、体を流して露天風呂へ向かう。

 入った時には自分一人。ぬる湯を独占状態という地の利を生かし、長々と堪能した。硫黄の香りと存外優しい泉質が体に染みる。入った時には薄明の頃、林と空が何とか区別できる程度の明るさしか無い。じわじわと溶けているうちに日は昇り、姿勢を保てなくなるころにはすっかり秋の好天が顔を出していた。

 段々と陽光に染まっていく山肌、光を吸ってぼんやりと光る川霧、目に入る風景が端から端まで美しい。山峡の水墨画にでもありそうな眺めが仕切り一つない眼前に広がっている。その上で全身は優れた湯に抱かれている。居心地が良すぎる。いっそこのまま蒸発して川霧と湯気に交じりたいという気にもなる。流石に日が出た頃には他の方も来ており、名残惜しいながらも退却。

 

 しかしこれだけでこの温泉は終われない。ここは川湯温泉、その名の通り川から湯が出るのである。どれくらい出るのかというと、掘ったら出るという程に大盤振る舞いらしい。温泉好きの端くれとして、温泉掘削の四字には抗いがたい魅力を感じる。フロントでスコップを借り、いざ実現へと向かった。

 素掘りでお湯が出るエリアは限られており、親切なことに案内表示がある。看板を見て下ると、確かに先人たちの痕跡がちらほら。しかも川岸には湧出に伴う泡が所々見られる。湧出ポイントに近い場所へスコップを突き立て、砂利を掘っていく。

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  以後はひたすら砂利を掘り、外に掻き出し、内壁を大きめの砂利で固める作業を繰り返した。結構な重労働で、浴衣姿でやると戦前の刑務作業めいている。掘っても掘っても内壁が崩れて深さが変わっている気がしない。穴掘りスキルが足りなかったのだろうか。

 掘っている途中で初老の御夫婦に声を掛けられた。幸いにも不審がられた訳ではなく、御婦人とお湯が出る出ないなどの話をした。*1

 

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作業を監視していた鴨

 15分ほど掘っては見たものの、まだなお浅いしぬるいし濁っている。しかし明らかに川の水よりは熱く、温泉であることは間違いない。私は温泉を掘ったのである。足湯として浸かり、持ってきた地ビールを飲んでしばし川を眺めた。

 

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 しばらく眺めていると、外人さんが上裸で川を泳いでいる姿が目に入る。何度か目を疑ったが現実である。湧出地に近い所では温水プール並みの温度になるんだろうか。目で追っていると、岸にある大きな池へと入っていった。地元の方が作ったのだろうか、人工的に積まれた縁石を見るに、どうやらそこも温泉であるらしい。ふと目をやると、先ほどの御夫婦も足湯として使っている。

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 ハンドメイド足湯を出てそちらへ向かう。足を突っ込んだところ、確かにしっかりと熱い。所々に飛び上がるほど熱い場所があり、足元湧出を感じさせる。今すぐにでも浴衣を脱いでざぶんと浸かりたい気分だったが、公共の場故に難しい。大人しく上がって宿に戻る。

 

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 今回は奮発して*2朝食付きプランにしている。フロントでスコップを返し、会場へ向かう。朝食はバイキング形式。温泉卵・温泉粥や熊野名産の佃煮・みかんなど、地域にちなんだ品も並んでいた。この温泉卵が特に美味であり、豊富なご飯のお供もあって米が尋常でない勢いで進む。取り放題の明太子もコメの消費を加速。心行くまで味わい、昼の分まで詰め込んで会場を後にした。

 

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奥の旅館の直下に露天風呂がある

 部屋に戻った後はすぐに荷物を纏めてチェックアウト。川湯の風景を眺めながらトンネルを抜け、本宮行きのバス停へ。田辺からはるばるやって来たバスに乗り込み、外人さんと共に本宮大社へ。

 

熊野本宮大社

 10分ほどでバスターミナルに到着。本宮一の鳥居は道路を挟んですぐ向かい側、歩いて向かう。

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 本宮大社那智・速玉と同様に熊野三山と総称される。元々別々の神社であったことは先の記事で述べたが、こちらもまた山や川への自然信仰の場であったと考えられている。元々は熊野川の中州に存在していたが、明治の水害により現在地に遷座。今は小高い丘の上にある。

 先に参拝した二社と同じく、こちらも八咫烏が神の使いとされている。随所にそのモチーフが目立つ。

 

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 丘という立地のため、本殿までは少々階段を登ることとなる。参道の脇には奉納された幟が所狭しと並んでいた。少し進むと参拝千回を記念した石碑も見られ、いまなお強い信仰を感じさせる。摂社にお参りしつつ登り、社務所を経て本殿に到達。

 

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 本殿は新宮と同様に、主祭神摂末社が横並びになった配置である。先述したように、こちらが源流であるらしい。順に参拝。

 社殿の構造上、平べったい印象がある。その分神域は広い。那智大社とは異なり、神仏習合の痕跡を見出すことは難しかった。熊野信仰華やかなりし頃は更に広く賑わっていたのだろうか。

 参拝後は社務所に向かう。八咫烏や牛王神符に関連する物が色々と並べられている。那智大社の宝物殿で見たこともあり、つい牛王神符に手が伸びそうになったが、祓うものも誓うことも無いことから思い留まる。代わりに八咫烏がデザインされた扇子を頂いた。黒字に黄色と赤の神紋、かっこいい。

 荒木飛呂彦デザインの御朱印帳も売られていた。気になったが今回はパス、神の御朱印を頂く。

 

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 時間の余裕があったので境内を散策。日本サッカー協会のシンボルが八咫烏という縁もあり、サッカー関連の奉納物がよく見られる。端の方には真っ黒な丸型郵便ポストがあり、「八咫烏ポスト」と書かれていた。ここから手紙を出すことも出来るらしい。

 

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 境内のベンチで少し休んだ後、外に向かった。帰りは古道の方を通って帰る。周辺は林業の地らしく杉だらけである。春の参拝ではさぞ恐ろしいことになっただろう。

 

 境内を出た後、ビジターセンター前の道路に沿って進む。3分ほど歩くと大きな鳥居が見えてきた。その先にあるのは本宮大社の旧社地、大斎原である。

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 木々の間の参道を抜け、少し歩いて境内に到着。流出の後再建はされず、小さな祠があるのみ。社叢に囲まれた小さな広場である。周辺の田園地帯とはまた異なった静かな土地であり、創建当時と同じ神聖な空気を湛えている。とはいえ不届き者はいるようで、各所に注意を促す看板があった。

 境内には砂利が敷かれ、周辺には水の流れる濠が引かれている。どうやらこれは近くの川から引かれているようだ。濠を追い、川に向かって進むと、工事用の重機とだだっ広い川原が見えてきた。

 

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 大斎原は熊野川の中州に位置する。川に対して鴨川デルタの様な位置関係にある。礫がごろごろ転がる川原と水面はほぼ同じ高さにあり、川を広く眺めることが出来る。大斎原とは歩いて1分もしないほど近い。埋め立てられたのだろうか、今はそのように見えないが、かつては陸と隔てられた中州であったとか。橋を設けず、川の水を足の清めと見做していたらしい。

 川原を少し歩いた後、堤に上がって川を眺める。川幅はそれなりだが水量は少ないようで、所々砂利の中州が形成されている。これが大斎原を飲み込む程に水量を増して暴れたというのだから、山間の川は恐ろしい。

 

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 堤の内側を見ると、平原には田畑、斜面には家屋が敷き詰められている。山肌を切り開いた段々畑らしきものも見えた。

 この日は快晴なれど風が強い。見晴らしの良い堤を歩くと風がダイレクトに吹きつけてくる。時刻は11時、風が心地よく感じるような程よい暖気であり、なんとも楽しい道筋であった。しばらく歩いて田畑に降りる。帰途で産田社にお参りしつつ、バスターミナルへ。

 バスターミナルには観光協会世界遺産センターが併設されている。少し時間があったので中を見学。那智のそれと同じく、熊野古道本宮大社の由来や信仰が紹介されていた。巡礼道の世界遺産繋がりでスペインのサンディアゴとも交流があるらしく、そちらに関する展示もある。

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煬帝激怒案件

路線バス紀行

 見ているうちにバスの時間に。奈良の五條行きのバスへ乗り込む。この路線は日本一長いバス路線として知られており、新宮~本宮~十津川~五條を5時間半程度で結んでいる。ここから終点まで4時間半、長距離バスめいた道のりを進んでいく。

 険しい山道とはいえ国道の168号線を通るため、路面は存外整っている。熊野川・十津川に沿ってグネグネと北上していく。このように山深い土地でありながらも、度々現れる停留所には集落が形成されていた。たくましい。とはいえこの日の利用者は少なく、乗客は自分含めて三人であった。

 その圧倒的な長さ故、路線バスながら何度か休憩が入る。1時間ほど乗った後、十津川村の中心地で10分休憩。観光案内を眺めて時間を潰す。瀞峡は良さそうだが、アクセスが難しい。

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贅沢な使い方

 再びバスに乗り込み、長々と揺られる。道中時折「世界遺産熊野古道 大峯路~~寺登り口」といった道標が見られた。大峯路は吉野と本宮を結ぶ山道であり、修験道の行者に利用されていた。どうやら近くの山の尾根筋に通っているらしい。他の熊野古道*3には道路が通される中、ここは未だ険しい山道である。かつての修行場がそのまま残される参詣路にも、それを今なお通る人がいることにも畏敬の念を抱く。

 再び1時間ほど進み、今度は上野地集落で20分休憩。到着前に地図を眺めると、やたらと長い吊り橋が目に入る。調べると名の知れた橋であるらしい。休憩時間の散策も兼ねて見に行く。

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 谷瀬の吊り橋は全長297.7mの橋であり、対岸の谷瀬集落への唯一の道筋となっている。看板の通り、かつては日本一長い橋であった。この手の観光地にしては珍しく、無料で往復することが出来る。幸いなことにあまり混雑していなかったので、渡って戻ってくることとした。

 足を掛け、下の川を見た所で自分が高所恐怖症であったことを思い出す。流石に足がすくみ、何度か入口をうろつく。その末に意を決して前進。

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ここで吸える猛者は居るのか...?

 橋の下には十津川が通っている。この橋は長いだけでなく高さも相当にあり、落ちたら命はない事が確信できる。踏板は案外しっかりしているが横揺れが大きく、特に中央部では激しく揺れる。入口にかけられた横断幕にも不安を煽られる。そんな状況で下を見ると当然足は動かなくなるので、なるべく前を見るようにして渡り切った。

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 帰りは慣れたので多少楽になり、写真を撮る余裕も出来た。とはいえ視線を落とすととんでもなく深い渓谷、気は抜けない。橋が架かる前はこの渓谷を降りて川を渡っていたとのこと。私財を投じてでも橋を架ける必要があったと全身で感じられた。

 渡り切った頃にはバスの発車10分前、近くの酒屋で名産品を物色してからバスに帰還。帰り際にはクラブツーリズムのバスを見かけた。橋の入り口でもご年配の方々とすれ違ったが、渡り切れるのだろうか...?

 

 再び発車し、十津川沿いの山道を進む。ここから先の二時間弱には休憩が無かった。時折寝落ちしながら車窓を眺めていると、大規模な崩落跡らしきものが見られた。

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 これは2011年9月の紀伊半島豪雨による被害であると思われる。和歌山県の被害報告書には近隣の国道が寸断されたとあった。近くにある長殿発電所は洪水と土砂で全壊、5年かけて新しい建物を作ったらしい。十津川村各所が寸断され、熊野川下流新宮市にも被害が出るなど大規模な災害であったらしい。8年経ってもなお残る爪痕に、山の水害の恐ろしさが垣間見える。

 そのまま進んでいくと、「大塔コスミックパーク」というおよそ山奥に似つかわしくないモダンな建物を見掛けた。温泉や天文台を併設したロッジとのこと。行ってみたい。

 その後はトンネルを幾つか抜け、いくらか開けた土地に出る。もう五條市に来たらしい。随分久々の平地である。車窓には柿の形をした建物*4や、智辯学園の案内*5など興味のあるものが度々みられる。

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智辯のお膝元

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 見ているうちに五条駅前に到着。町の繁盛ぶりに比べると駅はやや寂しいが、柿の葉寿司の販売所だけはあった。次の電車が来るまで10分ほど待機。

 時間に余裕があったので、駅メモの為に遠回りを試みる。南海高野線-近鉄長野線-近鉄南大阪線-近鉄大阪線-近鉄奈良線-近鉄京都線と蛇行しながら北上していった。新駅が山ほど取れて嬉しい限り。

 

上洛

 次の日に京都で友人と合流する予定があったので、この日のうちに京都に入る必要がある。幸いなことに伏見稲荷を経由できそうだったので、参拝していくこととした。

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二之峰-三之峰間に照明の変わった箇所があった(写真右)

 夜の稲荷は別世界である。その証拠に人がほとんどいない。暗い中でお滝ルートを登る勇気は無いので、四ツ辻経由の正規ルートで上がっていく。

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 夜とはいえ、最早見慣れた参詣路である。京都に来る度無事に参拝させて頂いており、誠にありがたい。30分ほどで一の峰に登拝、参拝後には無料おみくじを引いていく。特に脇には寄らず、そそくさと下山して鳥居を抜けた。

 

 

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 駅に向かい、JRを経て西院駅から洛中に入る。まずは五香湯で入浴。ここは二階建てな上に二種のサウナと多数の変わり風呂を備えており、銭湯らしからぬ豪勢さが特徴的。一階の大規模で開放的な風呂も、二階のシックな半露天ラドン風呂も双方素晴らしい。この日の薬湯はココナッツオイル風呂であり、全身がココナッツミルクの香りに包まれる謎の体験もできた。うろつきながら入浴を繰り返し、熊野古道の疲れを溶かした。

 

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 入浴後は道路挟んで向かい側の横綱ラーメンへ。折角なのでハイボールも頼む。まろやかな豚骨醤油のスープとぶち込みまくったニンニクの滋味、深夜の背徳感が程よく交わり美味しい。青ネギも入れ放題。青ネギ単体を醤油で食える人間にとっては心底嬉しいサービスである。スープに入れては掻き込む行為を繰り返した。

 食後の火照った体を抱えつつ、四条大宮近辺を歩く。目的のネカフェに行く道すがら、コインランドリーに寄って洗濯。初めての利用ではあったが、洗剤もいらない高性能機に助けられた。服を入れて金を入れるだけで選択開始。MtGAをやりつつしばらく待つ。洗濯は1時間ほどで終わったが、ゲームの方が終わらずに15分ほど居座った。

 時刻はもう2時。人通りもほぼ見られない。住宅街を抜けて四条大宮の快活に到達。3時少し前に就寝。

 

 三日目に続く。

*1:旦那さんはかっぱえびせんを鴨に餌付けし続けていた

*2:+1000円

*3:大辺路・中辺路・紀伊路伊勢路

*4:柿の博物館

*5:智辯宗総本山がある