2020/02/26

行動

 10時起床。

 朝食など済ませて出発、11:20頃神保町食肉センターに到着した。

 開店10分前でも天蓋まで列が伸びている。肉への信仰はゆるぎない。

 SSを読みながらしばらく待つ。ロットが一回転した12:05に入店。

 席はいつも通りのカウンター席であった。Bセットから開幕し、ハツ塩→タレ鶏→タレハツ→鶏塩→鶏単のオーダーで進む。米等のお代わりは無し。米を皿にして食べ進めたが、終盤にアブラたっぷりのご飯が残ってややキツかった。食べ終わった後の玉ねぎ皿を活用すべきだったかもしれない。

 

 食後は中央通りを歩いて上野公園へ。人が減っている気がしない。活気があって何よりである。

 入り口には河津桜が綺麗に咲いていた。ヒヨドリが桜の間を飛び交い、蜜を吸っては花を落としている。花と団子を一度に楽しめるのは羨ましい限りである。時折木につかまって逆さのまま食べている奴もいたが、消化とか血流には問題ないのだろうか。

 そのまま上野公園をしばらく歩く。大道芸人は準備中であった。植木の植え替えが行われている。東京空襲に関する記念式典はコロナで中止とのこと、やるせない。じきに国立博物館へ。

 今回は出雲と大和展がメイン。開幕で直行した。正倉院展に比べれば少ないが、それでもそれなりの人出である。音声ガイドを借りて入場。

 展示は出雲パートと大和パートに分かれている。日本書紀の国譲りの項に倣い、出雲を幽、大和を現の世界と見立てた展示とのこと。しかし今一つそのテーマに沿っていた感じはしない。途中から展示もごっちゃになるし。出雲の信仰に関する展示は幽テーマが濃い、ということなんだろうか。

 初めは幽の出雲パート、出雲大社と周辺の信仰に関する展示が並んでいた。宇豆柱を入口にでんと置き、その奥に出雲大社1/10スケール模型が並ぶ方式は中々迫力があって良かった。壁沿いには各種文書が並ぶ。江戸の昔、杵築神社と呼ばれていたころの資料も多い。その中でも古地図は特に面白い。出雲全域の地図縮尺であっても、稲佐の浜の岩はそれと分かるように描かれていて面白かった。鳥居もちゃんと描いてある。

 大社ゾーンを抜けると時代がさかのぼる。入ってすぐ、右側の壁一面に銅剣がずらりと並ぶ。左を見れば銅鐸が整然と並んでいる。実に贅沢な展示室の使い方である。これでも出土量の半分というのだから、出雲博物館がどれだけとんでもない密度で展示していたのかが分かってくる。

 銅剣・銅矛に関しては大量生産っぽいとの解説が主。復元銅矛もあり、真鍮色に輝いていた。サビるとブロンズになるのだろうか。銅鐸に関しては図柄についてかなり詳細な研究が語られており面白い。年代によって紋様の流行り廃りもあるとか。狩猟の風景が描かれている奴もあるのはいかにも古代らしい。獣も多く描かれているが、大半が四足獣などアバウトな中、それと識別される鹿は凄い。角無いやつもいるのに。

 少しすると銅鐸のブームが終わり、墳墓と副葬品にシフトしていった様子が示される。この辺りで大和に切り替わってくる。

 次の展示室には銅鏡が。ポケモンを前提にすると銅鐸→銅鏡の順番で変遷したことに若干の違和感を感じる。副葬品の一種として、車輪石等の加工石も置かれている。鍬形石など前から見たことがあるが、貝殻がモデルとは知らなかった。出土時にずらりと並んでいる様子は少し不気味。

 そして待望の埴輪もこのゾーンにある。筒形埴輪はやたらめったらデカいのが印象的。しかし残っているのはほとんど破片で、よく全体像を作れたなと思う。

 ここで展示は半分終わり。便所を済ませて次に向かう。

 

 展示後半は大和がメイン。まず目に入るのは石上神宮の七支刀である。まさかここで実物を見られるとは思わなかったので心底驚いた。特徴的な形を木枠で覆うような形で展示されている。鉄剣らしく錆がひどいが、それでも銘文のあることは分かる。形と言い出土の経緯と言い、何とも神秘的な御仁(御剣?)である。

 さらに進むと大和で出土した副葬品の数々が展示されている。目玉の見返り鹿君もここにいる。微妙に顎をずらしているのがこだわりポイント(推測)とのこと。

 

 今回の展示では異国との交流に関する要素がかなり推されていた。ササン朝由来のコバルトブルー皿だったり、耳飾りだったり、パルメット紋たる草状の紋様だったりと様々である。埋葬された人そのものが渡来の貴人なのでは無いか、という考察もいくつかあった。剣の柄の先端に装飾を施すのも大陸の流行りらしい。フラクタルめいた子持ち須恵器・子持ち勾玉なんかもトレンドだったとか。この辺の副葬品ゾーンではいくつか出雲のものも混ざっている。

 次の展示室からは仏像ゾーンとなる。こちらも異国情緒あふれるものが多い。関羽像めいてひげを蓄えた持国天像が特に印象に残っている。見た目だけでなく、最古の脱乾漆造という点でも貴重とのこと。他にも四角い履物を履いた像や石造レリーフなど様々な仏様が展示されている。

 次の部屋では唐風の多聞天広目天(だったはず)像が展示されている。裾を結んでいること、帯が広めであることが唐風っぽい要素らしい。顔が濃くて眉が太いことも印象に残る。

 更に奥には二つの薬師如来像が並ぶ。これは異国要素の無いものらしい。右側が奈良初期、左側が奈良後期の仏様というように展示されている。同時に見ると、明らかに奈良初期の方がお太りになられている。東大寺の大仏もそうだが、初期はふくよかが流行りだったらしい。後期はややシュッとしており、前期に比べて直立気味。

 次の部屋には出雲の仏像が並べられている。概ね四天王像であった。目がデカいことが特に印象に残る。

 最後の部屋には法隆寺壁画の複製陶板が飾られている。裏には大和の風景として三輪山遠景が飾られている。これだけ象徴的な使われ方をしているのに展示協力寺社の地図に載っていないのが惜しまれる。

 

 特別展を出た後は平成館の期間限定展示へ。こちらは朝鮮の物品展示を行っているらしい。ハチャメチャに凝りまくった螺鈿細工がとにかく印象に残る。

 

 前回時間切れの憂き目を見たため、本館はスルーして東洋館へ直行。この時点で閉館約40分前、急いで最奥の五階に上がる。ここは朝鮮の工芸品の展示が行われていた。仏像・仏具や調度品も面白いが、やはり特筆すべきは焼き物だろう。隣が焼き物大国だったこともあってかこちらも歴史が長い上に凝っている。特に14世紀以降の磁器類は優れている。

 宋のものほど地肌が清純というイメージはないが、装飾が非常に凝っていて良い。18世紀以降の白磁も中々のもの。あまり詳細な所は知らないが。焼き物初期の緑釉も味わいのある色味で魅力的であった。

 

 朝鮮の展示室を出ると中国の装飾品が並んでいる。こちらはこちらで変態的な作品ばかりであった。翡翠だったり漆だったりと様々な素材が並んでいるが、どれも加工技術が極まっている。玉で作られた蟹など実に精巧であった。

 続いて中国の書画・石壁画など見る。見ているうちに閉館時間となってしまった。地下の展示は見られず、今回もまた東洋館を見切れず終わる。次は地下から攻めていきたい。

 その後は上野公園を通り、駅まで歩いて帰宅。RFAをやって風呂に入り、夕食を取って就寝した。

 

食事

朝はパン。

昼は焼肉。

夜は豆腐ハンバーグ。