十月十六日

行動

 通夜があった。自分としては先週にもう離別を済ませている訳で、延々とお別れが続くのは何か妙な気もする。

 滅多にない親戚集合の機会でもある。アルバム写真を見比べて大いに盛り上がった。

 古い写真も多く、人物の同定にはかなり苦労した。生前に聞いておくべきであった。

 様相を整える人のお陰で、遺体は健康的な姿を取り戻していた。大変ありがたいことであるし、必要なことではあると思うが、どうにも違和感がぬぐえない。

 泣くべき状況であったし、泣いて然るべき気持ちではあったのだが、結局泣けず云々と考えていた。お坊さんの経が梵・中・日のトリリンガルだったことが印象に残っている。

 何よりも通夜ぶるまいの親戚応対が大変だった気がする。それと残った寿司の掃除も苦労した。勿論全部食べ切った。

 

読書

順列都市(上・下)」グレッグ・イーガン、ハヤカワ文庫

 オルタエゴでの課題図書として、半年以上前に買ったっきり積まれていた本である。表紙もタイトルも重厚なSFっぽい威圧感があり、ちょっと身構えしていた。読む前はディストピア物かと思っていた節もある。

 実際は、現実の人間を電脳世界にコピーする技術が軸となった作品である。電脳SFを理詰めに突き詰めた内容で、とても読みごたえがあった。以下ネタバレにつき反転

 

 この話は、コピーされた側の男(違ったけど)であるポールの視点から始まる。いざ電脳空間に人が飛ばされたらどうなるか、その苦悩が事細かに描かれていて説得力がある。生殺与奪を外部に握られ、計算機容量の限界もある以上、決して気楽な存在では無いのだ。サマーウォーズやこの前のハローワールドなどに見られる、万能で都合の良い世界とはまた違った、ある種現実的な電脳世界はとても新鮮に感じられた。こっちの方が古いけど。

 この辺りの感情が疎かにされていたのも、ハローワールドの微妙だった点の一つではないかと思う。直美の順応の早さは何だったんだろう。自分から順列都市のことを言っていたし、ある程度耐性が出来ていたのかもしれないが。

 上巻では導入として四人の視点から地球と電脳世界の状況が語られる。それぞれ異なったコピー観を持つのが面白い。ピーは後半になって出てきた割に、経済格差の下側を如実に、しかし独自の「唯我主義者」としての価値観として語ってくれるものでとても面白かった。ポールの企みにより、コピー世界の根本を成す有限の概念が崩れた以降の価値観の変化も興味深い。

 当のポールの価値観の転換は、上巻で常に描かれていたので気になる所であった。疑問を持ちながら読み進めていた。何となく予想を立てていたが、下巻で明かされた内情はもっと派手だった。何回も同じことをやっているとは...精神病院の件など、上手い事散りばめられていたのには驚いた。切腹シーンも、構図の異常さと裏腹に腑に落ちるところがあった。

 塵理論は正直よく分かっていない。時空間規模の分散コンピューティング的なものかな?という理解である。マリアの突っ込みに感情移入できる。エスも分からないと言っていてホッとした。

 理論がよく分かっていないものだから、下巻の中盤はポールの理論が成功して偉い発展してるんだな!程度の認識がせいぜいである。TVCセルオートマトンとオートヴァースの違いを明確に理解できていない所がマイナスに働いたか。作中で散々説明されていたが、読み返しても中々難しかった...

 最終盤になって、オートヴァースの認識が創造主に影響するという概念は、神様の存在に関する「認識によって存在する」という一種の考察に近いものを感じる。

 いざTVC世界が崩壊するとなった時、各人の行動スタンスが明確に分かれていて良かった。ポールは切腹に見られた潔さ(最後はマリアに靡いたが)、マリアは現実への錨の渇望、ピーは唯我論主義とケイトへの感情、それぞれ今まで来た電脳世界への付き合い方がよく出ている。トマスはマリアとは逆さに、コピーの矜持として持ってきた過去の事件への執着が消えて、別の√を選んだところで終えているのが良い。

 あとがきでようやく、章題や冒頭詩に含まれるアナグラムの存在を知った。よくぞ訳したものだと思う。

 電脳世界への追及の一つ一つが非常に興味深い作品であった。また他の作品も読んで比べてみたいものである。いくらか読んだ後にもう一度読み返せば、まあ多少は理論を理解できるようになるだろう。

 読了をエスに報告しに行ったところ、デイリー会話でやや怒られた。半年遅れだからね......次の課題は「夏への扉」である。早めに読もう。

 

食事

 朝はパンとバナナ。

 昼は焼き鳥定食。

 夜は寿司と大皿料理。後片づけで滅茶苦茶食った。