秋の熊野旅行2019・一日目その2

その1はこちら:http://chestnutknee.hatenablog.com/entry/2020/02/11/152051

 

那智瀧参り

 1時間ほどバスに揺られて那智へ。新宮を越えると再びリアスめいた海岸線になる。山と海が交互に出てくる車窓は楽しい。

 ここで次のバスへの乗り換え時間は3分、しかしバスが5分ほど遅れて心底焦る。那智駅に到着した時には発車時間をとっくに過ぎており、やや諦めの心境であったが、車内アナウンスで乗り継ぎの案内が。九死に一生を得る。というか次のバスも15分くらい遅れて来た。

 

 駅は社殿っぽい朱塗りの駅舎が特徴的。銭湯が併設されているようで気になるが、今回は入れず。

 バス乗り場には欧州系の人が多数見られる。ここから山の方へ向かう。

 那智川に沿った杉林の間を進み、しばらくすると大門坂バス停のアナウンスが鳴る。ここで古道を歩くことも考えたが、時間を考えてスルー。終点の二つ前、那智の滝前で降りる。

 

 降りてすぐ、大きな鳥居と那智大滝の石碑が見える。一礼して鳥居を抜け、参道の階段を下っていく。目に入るよりも前に、規格外の轟音でその存在が感じられる。降り切った先には飛滝神社の香炉と鳥居、そして巨大な滝の姿が現れる。

 

 まずは鳥居の前で参拝。こちらに拝殿や本殿は無く、ただただ滝という御神体があるのみ。拝んでいる最中にも水滴や冷気が感じられる。

 参拝後は社務所御朱印を頂く。うっかり御朱印帳を忘れてしまったので、今回は紙で頂いた。更に拝観料を支払い、小さな陶器の杯を頂いて滝の特別拝観へ。

 社務所の脇にある参道を少し上ると、水場に御神水がこんこんと流れている。先ほど頂いた杯で飲める、ということらしい。特殊な味がする訳ではないが、冷たくて美味しい地下水である。飲んだ後に「生水だから腹壊すかも」という恐ろしい忠告を友人から頂戴したが。結局何もなかったのは御神徳であろうか。

 

 轟音を身に響かせながら登ると、滝に最接近できるような位置に舞台が張り出している。ともすれば滝つぼに真っ逆さま、というような位置であるが、丈夫なコンクリ造りで安心感がある。一度上に登れば轟音も水しぶきも最高潮。アリーナ最前席のような臨場感で滝の雄姿を拝める。

 横の広さで言えば白糸の滝に劣る。高さは華厳の滝に比べると大人しい。それでもこれだけの威厳を放ち、古来より信仰の対象にされてきたのは何故だろうか。

 熊野という土地の神秘性もあるだろう。しかしこのような、山間に突然現れる、孤独な巨滝という面では、先述した滝にはない魅力があると思う。山岳信仰の対象、そして行者が目指す山間秘境としては至高の滝であったんだろう、などと根拠のない妄想を並べながら滝を眺めた。

 有料ということもあり、拝所に比べれば人も少ない。写真や動画など撮りつつ、しばし滞在。

 とはいえそれほど時間に余りがあるわけではない。名残惜しいながらも滝を離れ、階段を降りる。両脇には石碑が所狭しと並び、信仰の長さを感じさせる。社務所の下を抜け、もう一度拝所で拝んでから参道を戻る。

 

那智山信仰

 入り口の鳥居まで戻ると、那智大社への道案内が示されている。徒歩で15分ちょっとのことなので、リュックを抱えながら歩く。大社までの道は道路も舗装されていて歩きやすい。斜面に家が建っていることに感心などしつつ歩く。途中で「マムシ注意」の看板を見てややビビる。

 

 

そのまま上がっていくと三重塔が見える。その脇には那智の滝が遠く見える。那智大社へは道が分かれるが、少し塔の方に寄り道。拝観料を払って登る。

 

 

三重塔は近代的なコンクリ造りである。元のものは16世紀に焼けてしまい、1971年に再建されたらしい。とはいえ滝を見据える立地の良さは変わらず、反対側には那智大社青岸渡寺を始めとした那智信仰の社寺の数々を見渡すことが出来る。参拝の後降りた。

 

 分岐を那智大社側に向かっていくと、西国三十三カ所第一番札所・青岸渡寺が見えてくる。その奥には並び立つように那智大社の社殿が見える。今となっては意外な風景にも思えるが、ここ熊野は昔から神仏習合の信仰が濃い土地であった。平安の頃には天皇行幸したこともあり、吉野山と併せて修験道の一大本拠地として繁栄してきた歴史がある。

 残念ながら、神仏判然令とそれに伴う廃仏毀釈で、仏教に関する霊場・旧跡は大半が破棄されてしまった。しかし、ここの本堂は残り、信者の方々によって復興され現在に至る。そのせいか、那智は他に比べやや習合色が強い。先ほどの飛滝神社で香炉と鳥居が並び立っていたのもその証座と言えよう。更に、神仏習合以前にも原始の自然信仰の場として栄えており、しかし延喜式には記載が無かったりと、中々興味深い場所である。

 諸所に感心しながら参拝。古道を歩いてきた人だろうか、境内には杖を持った人々が存在しており、本堂の前には杖立もある。堂内に入ると数々の奉納品、そして様々なキャンペーンのポスターが目立つ。この年は西国三十三ヶ所の千三百周年(!)とのことで、色々な催しが行われていた。堂は山中のものらしくこじんまりとして質素。

 堂の向かいに中を潜れる御神杉があったが、財布と相談してここはスルー。お次は隣の那智大社に向かう。

 

 

 拝殿は那智駅舎とそっくりな朱塗り。さらに向こう側、玉垣の中には五つの社殿が並び立つとのこと。この辺は熊野三山で共通する。今回は何らかの工事中で、やや見づらい区画もあった。それでもなお随所の八咫烏が目立つ。

 

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御縣彦社、八咫烏が祀られている

 参拝後、拝観料を払って宝物殿へ。神仏習合当時の仏像など貴重なものが多数見れる。特に入口すぐに位置する那智参詣曼荼羅は面白かった。これは熊野那智山への参詣の風景を描いた絵図で、周辺の名所・霊場や宗教的な図案が各所に描き込まれている。那智駅近くの補陀洛寺及び補陀落渡海の伝説が下部に描かれ、そこから上に行くにつれて那智瀧・三重塔・そして熊野那智大社青岸渡寺といった霊場が現れてくる。那智大社の所を見ると僧侶と公家っぽい人が向き合っていたり、今の青岸渡寺に対応する如意輪堂が見えたりと興味深い箇所が多い。宝物殿の係の人に色々と解説を聞きながらじっくりと観察した。後から調べたところ、Wikipediaに滅茶苦茶詳細な記事があって驚いた。

 係の人に話したところ、神鏡のギミックについても見せてもらうことが出来た。一見普通の鏡に見えて、反射光を投影すると観音様の姿が現れる、という仕組みである。鏡面に細かい溝が彫ってあるとのこと。同様のギミックをかつてそーなんだで読んだことがあり、懐かしく感じる。

 他にも、当時の天皇が黒船退散を熊野社に依頼した手紙があったり、烏牛王符とその解説・利用法が詳細に述べられていたりと見所満載であった。300円にしては内容が多い。係の人に少し話を聞けたのもありがたい限りである。満足して外へ。

 

 参拝後は正面参道を下ってバス停方面へ向かった。こちらには土産物屋が立ち並び、いかにも門前町といった雰囲気である。特に目立つのが土産物屋で、那智黒石を使った置物類が所狭しと並べられている。この置物がもう合成かと思うほど真っ黒で、艶があって何とも魅力的である。八咫烏の置物はかなり気になったが、しかし1200円と財布に厳しい。しばし逡巡して、250円の小さな梟の置物を買った。撫でまわすと触り心地もまた良い。

 門前町は急な階段が続く。杖が必要とされることも納得の険しさである。しばらくして下側の道路に到着。バス停もすぐ近くに見える。

 同時に大門坂への道を示す看板も見えてきた。ここでバスの時間を調べると、およそ25分の空きがある。しかし大門坂の所要時間は調べたところ片道30分ほど。やや分の悪い賭けではあったが、世界遺産の魅力を振り切れず坂突撃を決意。リュックを担ぎ直し、小走りで下り口へ向かった。

 

 大門坂の上側は看板が立つのみの質素な風景である。しかしそこに世界遺産だの杉並木が天然記念物だの書かれているものだから心が躍る。一瞥して先を急ぐ。

 

 

 大門坂は熊野古道の一部であり、那智山参詣のメインルートであった。足元の石畳が当時の面影を残す。両脇には杉の巨木が立ち並び、不思議な静寂を産み出している。樹齢800年の木もあるとか。すれ違う参拝者もそれなりにいて、連綿と続く旅人の道そのままの風情がある。

 道中で一度、欧州系の女性二人組に英語で写真撮影を頼まれた。盛大にキョドったが何とか応対して撮影、丁寧にも日本語でお礼をくれた。急がなければ行けないのだがそんな気にもなれず、気持ち早歩き程度で降りていく。

 道の脇には多富気王子跡が。熊野百王子と呼ばれるほど数多く存在した末社の一つとのことで、少し拝んでから横を通り過ぎる。

 

 

 しばらく降りると杉も途切れ、民家のみかんが見えてくる。平坦な道でラストスパートをかけ、出口の車道に出た。

 

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古道三連星


 ここで時間を見ると、まだバス到着5分前。どうも目安時間が長めだったようである。しかしバス停が見つからず、少し焦る。車道沿いに歩いていくと土砂災害啓発センターなる建物と、その前に数人の職員っぽい方々が見えてきた。バス停の位置を聞いたところ、すぐそこにあるとのこと。礼を述べて向かうと、そこは目的地の次の停留所であった。無駄に歩いた分バス待ちの時間も短く、すぐに来たバスに乗って那智駅へ戻る。

 那智駅では15分ほど待ち時間があったので、駅隣の施設へ。世界遺産登録記念で建てたという情報コーナーは中々綺麗で、那智山の四季の写真や映像が展示されている。那智の火祭りに使われる箒の展示もあった。いつかお目にかかりたいものである。見学後は用を足してから併設されたお土産コーナーへ向かう。色々とあったが、那智黒飴を選択。ついでに地場産らしきお茶を買う。

 少し待つと新宮駅へのバスが来た。往路をそのまま辿りつつ、駅手前の停留所で降りる。

 

新宮の新旧

 新宮は熊野地方の中心とも言える都市である。他年に比べて平地が広く、市の規模も相応に大きい。そうなるとスナックなどが立ち並ぶ区画も出現してくる。まだ日は高いながらやや怪しい雰囲気を残す区画を抜けると、目的の飯屋が現れた。

 

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 めはり寿司は熊野地方の名物で、寿司と称しながら実態は巨大な高菜おにぎりである。多分に漏れず、桃鉄の物件駅からその存在を知った。元は庶民の昼ご飯とのことだが、有名店と言えばこのめはりやらしい。総本店は一度火事にあったらしく、2年ほど前に再建されたとのこと。店内は新築で明るい。

 今回は茶そばとめはり寿司セットを注文。茶そばは香り高く美味しい。めはり寿司は想像よりかなり大きめであった。外側の高菜はかなり丈夫で噛み切りがたいが、口に含むと醤油の風味が合わさり何とも美味しい。内側には濃い目の醤油漬け高菜が。大量の米に内外の高菜がよく合い食が進む。わずか3個で十分に腹が満たされる、豪快なおにぎりであった。成程労働に合う訳である。今度は持ち帰りで食べてみたい。

 

 

 食後しばらく歩くと、住宅街の中に突然大きな社叢が見えてくる。参道の鳥居をくぐり、熊野三山の一つ・熊野速玉大社に到着。

 

 

 参道の両脇には摂社が並ぶ。こちらは那智大社と比べて習合色が薄い。かつては熊野詣の中心地として栄えたそうだが、近代に入ってからの火災等もあり、古い建物は残らない。途中宝物殿も見えたが、時間の都合でここはスルー。しかし宝物は貴重なものが多く残っていたらしく、後から知って見なかったことを後悔した。

 

 

 その先には神門が聳え立つ。両脇には力強い標語を携えていた。

 

 

 神門を抜けると社殿の数々が見えてくる。立ち並ぶ朱色の社殿が熊野三山らしい。片っ端から参拝していった。手元の本によると、これらの社殿及びその配置には本宮の影響が見られるとのこと。右端には摂社の稲荷社があったのでこちらにも参拝。その後、御朱印を頂いて外へ。境内では市が開かれていて、みかんが無造作に並べられていた。旬の時期であった。

 

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世界遺産!!

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サイズで値段が変わる


 少し歩き、熊野川沿いへ向かう。堤防の向こうに少し見える程度であったが、やはり幅の大きい川である。すっかり近代化した市街地の脇で、ただ変わらぬまま流れている。戻りつつ近くの民家を見ると、塀に鳥居のマークが描かれていた。外側が犬の小便除けであることは分かるが、内側には何故描かれているのだろうか?

 川からは来た道を戻りつつ、反対側の目的地へ向かう。飲食店の並ぶ通りを抜けていくと、開けたグラウンドと小学校が見える。時刻は15時過ぎ、グラウンドにはまだ生徒がいて授業を行っている様子である。校舎やグラウンドもさることながら、巨大な体育館がよく目立つ。調べたところ、なんと木造であるらしい。宮崎駿も絶賛。

 

 

 小学校脇を流れる水路がドブ川だったのか、臭気がずっとついてきたことも印象に残っている。道を曲がって振り切ると、神社の鳥居が見えてきた。神倉神社の入り口である。

 

 

 橋を渡った先、鳥居の向こうにも社殿は見えるが、これは神倉神社の本殿ではない。ではどこに存在するのかというと、脇の階段をずっと上った先にある。この階段がまた急で、しかも踏面が狭い。重心が後ろに偏った状態で登るのはかなり厳しい。疲労でガクガクの足を抱えて何とか登っていく。外人さんの団体がヒョイヒョイ登っていく信じがたい光景も見られた。何とか登りきると、巨石と社殿が見えてくる。

 

 

 神倉神社は見ての通り磐座信仰の神社である。現在は速玉大社の摂社とされているが、元々はこちらが信仰の中心であったらしい。これに比べて新しく建てた社だから新宮大社とのこと。熊野大神が最初に降臨した聖地、古事記に纏わる天磐盾などの伝説が語られている。そう信じられるのも納得がいくほど、巨大なゴトビキ岩がポツンと鎮座している。社殿も存在しない、原始の信仰の場である。

 

 

 反対側には広く新宮市街を、遠くには海を臨むことが出来る。相当な高所に位置することが感じられる。

 参拝後は急な階段を下っていく。当然ながら行きよりも帰りの方が恐ろしい。恐る恐るの下山となる。かの有名な御燈祭では、男たちがこの階段をたいまつを持って駆け下りるらしい。勇壮にも程がある。ぜひ一度拝みたいものである。 

 無事に降りきり、神社を離れる。新宮では他に徐福公園も気になる所だが、時間の都合で断念。市街を歩いてバス停へ。着いた頃にはバスまで10分ほどあったので、コンビニで買い出しを行う。

 

 

 バス停近くには果物屋も存在し、橙色一色に染まっていた。これほどまでに見事な染めっぷりを見ては食べたくなるというものである。売られているのは袋詰めばかりだったが、店のおばちゃんに聞くとバラ売りもやっているとのこと。サイズを聞かれたので中ぐらいと答えると、適当にその辺の袋から取り出して重さを量り、値段を出してくれた。お土産用の缶詰と一緒に購入。缶詰を買ったからか、おばちゃんがフォークが必要だろうと言って奥の家に入っていった。戻った時にはコンビニで貰えるような先割れスプーンを手渡される。店のものかと思いきや、普通に家で使っているストックだとか。やや申し訳ない気もしたが、有難く頂いた。

 ややあってバスが到着。ここから再び山側へ向かう。

 少し前にお得な一日券情報を聞き、行程的に1000円ほど得することが判明していたが、那智往復を済ませた今では後の祭りである。疑似的な損益を被って少しテンションが下がる。

 

熊野山中の湯

 

 

 バスは熊野川沿いに進む。河口では広かった熊野川もだんだんと狭くなっていく。来る前に読んだ本では、熊野川は熊野杉の運搬に用いられ栄えたとのことだったが、今はもうその面影は見られない。

 

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 代わりなのだろうか、土砂採掘による生コン工場をちらほら見掛けた。

 

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土砂崩れ跡?

 

 1時間ほど揺られると再び町が現れる。温泉街特有の狭路を抜けると目的地、湯の峰温泉である。 

 

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 ここは熊野本宮にほど近い温泉地である。開湯1800年の古湯で、熊野参詣の旅人にとっての癒しの場として長らく活躍してきた。温泉街の中心には岩風呂のつぼ湯が位置し、参詣道の一部として世界遺産に登録されている。驚いたことにこのつぼ湯、今なお入浴可能である。公衆浴場の受付で券を買って番号札を貰い、入口へ向かった。

 もう日はすっかり暮れていて、足元を見るのにも難儀する。温泉の光に惹かれるように歩き、入り口前で順番待ち。1グループ30分を目安として回しているので、さほど長くはかからない。先客のおじさんとどこから来ただのなんだの話しながら待った。

 

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 順番が回ってきたので、番号札を入口に掛けて入る。建屋はただの小屋で、壁の案内と時計、それと湯船のみといった簡素な入浴所である。入口の階段で服を脱ぎ、かけ湯の後入浴。

 

 

 

 お湯は乳白色で、硫黄の香り漂う上質な湯である。湯船はさほど広くないが深め。壁一枚隔てた小川の音が聞こえるほかは静かな湯であった。世界遺産に浸かっていると思うとやや背筋が伸びる。深い歴史を湛えた湯船で時間を過ごす。

 とは言え時間制限はあるので早々に上がる。持参したタオルで体を拭き、スマホを無くしたかと焦りながら着衣、退出。順番待ちの人に会釈し、先ほどの公衆浴場へ戻る。つぼ湯の券は浴場の分もセットになっているので、はしご湯が出来るという寸法である。公衆浴場には一般と薬湯の二種類が存在し、一つの券ではどちらか片方のみに入れる。迷った末一般湯を選択。再度脱いで入る。

 

 

 一般湯は薬湯に比べると薄めであるのだが、それでもなお湯の華が舞うほどの温泉成分を含む。聖地に程近い場所にこれほど強いお湯が沸いているのはまさしく奇跡的である。時間制限も無いのでゆっくりできる。湯船には他の人が数人一緒に浸かっていた。中には函館の税関の人もいたらしく、地元のおっちゃんらしき人と色々話をしていた。

 しばらくして上がり、外の道へ。このまま徒歩行軍1時間でホテルへ向かう覚悟だったが、つぼ湯に割と早くは入れたお陰かまだバスが残っていたらしい。幸運に感謝してバスに乗り込み、10分ほどで川湯温泉のホテルに着いた。

 

 

 ホテルは朝食付き6000円の所を選んだ。本当は湯の峰のゲストハウスに泊まりたかったが、ちょうど埋まっていたため断念。しかしこちらも中々の当たりであった。本館に付属する簡素な別館という形態を取っているため、リーズナブルながらお湯は本館の豪華なものに入れる。部屋もシングルで予約したのにダブルに回してもらえた。それなりに広い部屋で一息つき、館内着に着替えて本館の風呂へ向かう。

 本館の風呂は室内大浴場と混浴露天風呂といった構成。混浴への配慮として、腰巻のような湯浴み着を考案している所に頑張りを感じる。

 露天風呂はホテルの真横を流れる大塔川に接した造りで、異常な開放感を伴うものであった。なにせ柵が一切ない。見ようと思えば橋から見えるような広がりである。三歩歩けばすぐ川というような大自然の中、森と川と空のみの視界で浸かる露天風呂は異様な体験であり、非常に楽しかった。虫の声と川の流れの他には無音である。最初の20分ほどは他の人もいなかったため、ただ天地に自分一人という気分になれた。晴れていれば星も綺麗だっただろう。

 露天のお湯はぬるめで長居しやすく、景色を存分に楽しめる。屋内大浴場はやや熱めでしっかり温まれる。肝心の泉質も存外強く、湯の華が舞っていた。翌朝の風呂への期待がグングン高まっていった。

 

 夕食はコンビニで調達したもの。本館の売店で買ったカップ酒と果物屋のみかんが申し訳程度に熊野感を添える。この後もう一度風呂に入り、就寝準備。持ってきた熊野の本を読んで色々考えたり、翌日の予定を立てたりする。ホテルのサービスで他の古道地点まで行けるとのことだったが、時間の都合を考えて断念などする。翌朝の温泉に期待を膨らませつつ就寝。

 二日目に続く。